徳川家康が死を覚悟した「神君伊賀越え」 400年前の“逃避行”をご存じか【連載】江戸モビリティーズのまなざし(12)

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江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。

伊賀越えを地域振興に活用する自治体

京田辺市の「伊賀越えスタンプラリー」(画像:京田辺市観光協会)
京田辺市の「伊賀越えスタンプラリー」(画像:京田辺市観光協会)

 京田辺市は、市役所と京田辺市観光協会が一体となって「大河ドラマどうする家康ゆかりの地プロジェクト」を推進中だ。

 木津川を渡るため家康が利用したといわれる「飯岡の渡し場」など、ゆかりの地をめぐるスタンプラリー(3月23日まで)をはじめ、キーホルダー、クリアファイル、トートバッグなどのグッズ販売にも力を入れている。

 カプセルトイによるグッズ抽選などを目当てに、遠方からやって来る人も少なくない。

「SNSを通じてイベントを発信しているため、意外にも若い人が多く来てくれます。家康がテーマなので年齢層は高いだろうと想定していましたが、うれしい誤算です」

 京田辺市観光協会専務理事・事務局長の松尾憲雄さんは驚きを隠せない。

 松尾さんは、そもそも当地が家康ゆかりの地であることを、地元の人たちに知ってもらいたい意図があったという。商業施設やJR京田辺駅でアピールした結果、市民の関心も高まりつつあるという。

 秋には京田辺市民まつりとタイアップし、歴史研究者の講演会なども企画している。伊賀越えが大河ドラマで描かれる頃には、さらに盛り上がると期待を寄せている。

 京田辺市より少し東へ向かうと、宇治田原町に出る。家康一行が宿泊した地といわれ、大河ドラマの放送開始以前から「信楽街道~家康伊賀越えの道」をPRしてきた。

 案内パンプレットも作成している。車で通過できない未舗装の道も多く、当時の面影をしのぶことができる。

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