徳川家康が死を覚悟した「神君伊賀越え」 400年前の“逃避行”をご存じか【連載】江戸モビリティーズのまなざし(12)

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江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。

ルート上に京田辺市と宇治田原町

google mapを元に伊賀越えのルートを記した。この地図は『石川忠総留書』に記録された地を線でつないで簡略化して作ったもので、詳細な道は諸説あっていまだわかっていない(画像:小林明)
google mapを元に伊賀越えのルートを記した。この地図は『石川忠総留書』に記録された地を線でつないで簡略化して作ったもので、詳細な道は諸説あっていまだわかっていない(画像:小林明)

 この近江国→伊賀国柘植ルートは、徳川家臣の石川忠総という人物が著した『石川忠総留書』(いしかわただふさとめがき)に記されたものである。別の文書をもとに大和国(奈良県)を経由したという新説もあるが、通説は現在のところ『石川忠総留書』による。

 そして、『石川忠総留書』のルート上に位置しているのが、京田辺市、宇治田原町である。このため両自治体は、伊賀越えを積極的に地域おこしに活用しているのである。

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