織田信長は一流の物流マン? 16世紀に「国道」「県道」を整備、税関撤廃で流通を活性化させた立役者だった

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戦国時代、武将たちはただ戦いばかりをしていたわけではない。織田信長の交通インフラ整備と「税関」撤廃に注目してみる。

3倍以上の幅の道、通す

岐阜市の織田信長像(画像:Merkmal編集部)
岐阜市の織田信長像(画像:Merkmal編集部)

 筆者(小和田哲男、歴史学者)が主に研究しているのは戦国時代史だが、そうした時代だからといって、戦国大名たちはただ戦いばかりをしていたわけではない。当然ながら領国経営を行い、交通政策や物流政策も手掛けており、その中には現代に通じる施策も少なくない。ここでは、織田信長の交通インフラ整備と「税関」撤廃に注目してみる。

 戦国時代の道は狭く、曲がりくねったままで、しかも、川には橋が架かっていなかった。なぜかというと、道が広く、真っすぐで、川に橋が架かっていれば、敵に攻め込まれてしまうからである。狭くすることで、大軍の侵入を防ぎ、曲がりくねっていることで、大軍の移動を阻止しようとしたのだ。橋のない川は、天然の堀の役割があった。

 ところが、織田信長は、こうした戦国の常識の逆をいっている。道を広げ、真っすぐにし、川に橋を架けている。しかも、道を広げるといっても、ただ広げただけではない。何と、道の重要度に応じて3つのランクづけをして広げているのである。その3つのランクというのは、次の通りである。

本街道 3間2尺幅
脇街道 2間2尺幅
在所道 1間

 その頃の一般的な1間=6尺5寸で換算すると、本街道は約6.5m幅、脇街道は約4.5m幅、在所道は約2m幅となる。それまでの普通の道は1間幅だったので、本街道は、一気にその3倍以上の幅の道が通ったことになる。

 本街道がいまの国道、脇街道がいまの県道、在所道がいまの市町村道とみれば分かりやすい。つまり、信長は、その道の重要度・必要度に応じて道幅を決めていたことになり、これは、それまで誰も考えたことはなく、極めて画期的なことであった。

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