西武池袋「ヨドバシ出店反対」 豊島区長の決意にひそむ“来春任期満了”という焦燥感
「ヨドバシNG」の裏に潜む計画

豊島区では多くの企業とFFパートナーシップ協定を締結している。
FFパートナーシップ協定とは、「わたしらしく、暮らせるまち。」を基本コンセプトにした政策について協力関係を強くするもので、例えば西武百貨店と東武百貨店といったように池袋駅を挟んでライバル関係の2者どちらとも協定を結んでいる。ヨドバシ排除は、臆測の域を出ない。
それでは、ビックやヤマダがOKでヨドバシがNGの理由は何なのか。西武鉄道の後藤社長に手渡した嘆願書には触れられていないが、それは高野区長が就任直後から目指してきた
「西武百貨店からグリーン大通りにかけての歩けるまちづくり」
の計画に狂い生じるからにほかならない。
打ち出された池袋LRT構想

高野区長は1945(昭和20)年、豊島区西池袋で生まれた。昭和20年代から30年代は都電全盛期で、都電はあちこちで走っていた。池袋駅は17系統が発着するぐらいしかないため、高野区長は都電にそれほどの強い思いは抱いていなかった。
しかし、区長就任後に視察でドイツのライプツィヒを訪れて考えが変わる。ライプツィヒでは路面電車が主要交通として利用され、試しに乗車すると快適だった。その利便性を実感してから路面電車に対する考えが変わっていく。帰国後、次世代型路面電車(LRT)を池袋に走らせる構想を打ち出すまでの路面電車推進派になった。
池袋LRT構想が打ち出された当初、サンシャイン60や現・豊島区庁舎のある一帯は再開発が計画されていた。高野区長は再開発と同時に池袋を起点とするLRTの敷設工事に取り掛かるつもりだったようだ。
筆者(小川裕夫、フリーランスライター)は高野区長が池袋LRT構想を打ち出した2000(平成12)年以前から、東京都交通局や都電荒川線に携わる関係者たちを取材してきた。その取材の過程で、高野区長が掲げる池袋LRT構想も耳に入ってくるようになり、東池袋かいわいの関係者を訪ね歩いたりもした。
しかし、残念ながらLRT計画は実現していない。すでに豊島区庁舎は完成し、都電の側道工事も着実に進んでいる。そうした状況を踏まえると、現時点から池袋LRTが巻き返す可能性は低いといわざるを得ない。