100年以上前にもあった「ガチ中華」ブーム──なぜ日本人は「横浜中華街」に殺到したのか? 交通手段との意外な関係を考える

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明治38年、横浜中華街で“ガチ中華ブーム”が勃発。戦争帰りの舌を動かしたのは路面電車と円タク。現代ブームに通じる「交通×食文化」の方程式を読み解く。

東京の横浜中華街ブームは円タク普及後

フォードT型(画像:近代食文化研究会)
フォードT型(画像:近代食文化研究会)

「第一次大戦後に、横浜へシナ料理を食いに行くことが、東京人の流行になった時があった。松竹の撮影所が、蒲田にあった頃は、安い円タクに乗って、横浜のシナ料理を食って、本牧で遊ぶという映画人が、ずいぶん多かった。」(獅子文六『飲み・食い・書く〈続〉』)

 再び獅子文六によれば、東京で横浜中華街のガチ中華ブームが起こったのは、第一次世界大戦後(1918年以降)だった。

 路面電車網が整っても、東京から横浜中華街までは依然として遠かった。路面電車で新橋駅に出て、そこから汽車で横浜停車場(現在の桜木町駅)に向かい、さらに路面電車に乗り換える必要があった。

 そんななか、東京人が気軽に中華街へ出かけられる新たな交通手段が登場した。それが円タク(タクシー)だった。

『食道楽 昭和6年9月号』の対談「銀座へなちよこ問答」には、円タクに5人が相乗りして横浜中華街を訪れる場面が描かれている。タクシー代は往復で5円。成昌や聘珍樓で食事をして合計10円。ひとりあたり3円で本格中華を楽しめたことになる。

 タクシーが普及した背景には、フォードによる自動車価格の劇的な下落があった。

 円タクに使われたT型フォードは、大量生産によって発売当初の半分以下まで価格が下がった。このコストダウンにより、タクシーという新しい移動手段が一般化し、東京人が横浜中華街を身近に感じられるようになったのだ。

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