100年以上前にもあった「ガチ中華」ブーム──なぜ日本人は「横浜中華街」に殺到したのか? 交通手段との意外な関係を考える

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明治38年、横浜中華街で“ガチ中華ブーム”が勃発。戦争帰りの舌を動かしたのは路面電車と円タク。現代ブームに通じる「交通×食文化」の方程式を読み解く。

ガチ中華ブームを支えた交通機関の発達

横浜馬車道の路面電車。田山宗尭編『日本写真帖』。国会図書館蔵(画像:近代食文化研究会)
横浜馬車道の路面電車。田山宗尭編『日本写真帖』。国会図書館蔵(画像:近代食文化研究会)

 そんな東京人や横浜人がガチ中華に目覚めるきっかけとなったのが、日清戦争(1894~1895年)と日露戦争(1904~1905年)だった。

 戦争で多くの日本人が中国大陸に渡り、本場の中華料理を味わった。日本風にアレンジされた中華料理では物足りなくなった帰国者たちは、ガチ中華を提供する横浜中華街に注目した。

 しかし、日露戦争以前の時代、横浜中華街を訪れるのは簡単ではなかった。交通の便が悪く、遠方の横浜人にとっては徒歩か人力車くらいしか手段がなかった。

 そんな状況が変わったのが1904(明治37)年。この年から路面電車の整備が始まり、やがて横浜中華街の近くにも停留所(花園橋)が設置された。

 路面電車の登場により、人々は安く、早く、気軽に中華街を訪れることが可能になった。これが、横浜人が「猛然と「南京」を食い始め」た1905年前後の背景である。

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