100年以上前にもあった「ガチ中華」ブーム──なぜ日本人は「横浜中華街」に殺到したのか? 交通手段との意外な関係を考える
明治38年、横浜中華街で“ガチ中華ブーム”が勃発。戦争帰りの舌を動かしたのは路面電車と円タク。現代ブームに通じる「交通×食文化」の方程式を読み解く。
ガチ中華ブームを生んだ社会的背景
日本人の横浜中華街ブームが起きたのは、獅子文六が10歳だった1905(明治38)年ごろのこと。なぜこの時期に、横浜でガチ中華のブームが起こったのか。
理由のひとつは、1899年の外国人居留地廃止だ。この制度の廃止により、在日中国人は居留地の外に移り住み、日本人の生活圏で中華料理店を開くことが可能になった。
この頃に登場したのが、伊勢佐木町の博雅亭である。シウマイを横浜名物に押し上げた店として知られる(近代食文化研究会「「焼売といえば崎陽軒」…ではなかった? “ホタテ入り”で名を馳せた幻の店が築いた横浜焼売の原点とは」2025年6月8日配信記事)
横浜各地に中華料理店が次々と開店し、そこで中華料理に魅了された日本人が中華街にも足を運ぶようになった。これがガチ中華ブームのきっかけのひとつとなった。
政治家・野間五造(1868〈慶応4〉年生まれ)によると、東京では居留地廃止以前から、偕楽園などの中華料理店が存在していたという。
当初はガチ中華を出していた東京の偕楽園や横浜の博雅亭も、時が経つにつれ日本人の味覚に合わせるようになり、やがて日本式中華料理へと変化していった。
「東京と云はず横濱と謂はず、何れの支那料理も、開業早々は大概純粋の支那割烹を提供するが、日を経る惡化を來し、遂には純然たる日本料理を製造するよふに成って來るのである。」(野間五造「支那料理と東京」『食道楽 昭和8年1月号』所収)