物流構造が大転換した「近代日本」 内航海運、鉄道、道路と主役交代した歴史を振り返る

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日本の貨物輸送は内航海運、鉄道、道路へと主役交代し、経済発展が加速した。明治維新後は鉄道輸送が急速に発達。今回はそんな貨物輸送の近代史をたどった。

日本海・西日本から太平洋ベルトへの転換

内航船の府県別入港船トン数ランキング(画像:本川裕)
内航船の府県別入港船トン数ランキング(画像:本川裕)

 こうした経緯をたどった貨物輸送の分担率の変遷にともなって、地域的には、経済と物流の発展中心が「北前船経済圏」の日本海・西日本沿岸部から「太平洋ベルト地帯」、さらに「三大都市圏」へとシフトしていった。

 大量輸送手段の中心が沿岸海運であった時代には、日本海・瀬戸内海を抱える西日本の経済優位が崩れなかった。政治都市である大都市江戸の発展はそれを補完する大きなコブのようなものだった。

 ところが明治維新以降、世界貿易のネットワークに組み込まれ、生糸輸出からはじまって繊維輸出で外貨を稼ぎ、機械や武器を輸入する時代となると、北前船経済圏内の各地域の相互依存関係は崩れ、生糸生産の盛んな中部山岳・北関東・東北地方と貿易拠点である神戸、横浜を結ぶ動線や海外からの技術導入拠点である大都市圏と地方圏との結ぶ動線の重要性が増した。

 そこで、新しい時代の鉄道輸送や自動車輸送の展開は、太平洋側に大きく重点シフトした。そして、戦後の高度成長を支えた臨海工業地帯における重化学工業の発達は、鉄鉱石、石炭、石油などを輸入し、生産した製品をそのまま海外へ輸出する加工貿易によっていた。そのため、大型船舶が直接接岸できる太平洋ベルト地帯の物流をますます活性化した。さらに、安定成長期に入ると、人口集積を高めた三大都市圏をめぐる消費財輸送の重要性がさらに増し、日本海海側から太平洋側へ経済や人口の中心が移っていった。

 こうした物流の地域性の変遷を、内航船の入港シェアの都道府県ランキングの移り変わりから見てみよう。

 明治末、1908(明治41)年の内航船の入港シェアの首位は山口、2位は広島であり、以下、中四国・九州、近畿、そして北前船の発着点だった北海島の都道府県、すなわち北前船経済圏の地域で80%までが独占されていた(静岡は例外)。

 ところが、1938(昭和13)年には、それ以外の神奈川、青森が累積80%までに顔を出し、戦後の1978年には、神奈川、千葉など関東の臨海工業地帯の地位が大きく上昇している。内航海運自体も伝統的な西日本中心の輸送から、太平洋ベルトや三大都市圏を中心とする輸送へとシフトしてきていることが分かるのである。

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