物流構造が大転換した「近代日本」 内航海運、鉄道、道路と主役交代した歴史を振り返る
海運・鉄道・自動車 三者三様の輸送技術発展

次に前掲図の背景として、内航海運、鉄道、自動車という輸送機関の近代における技術発展を概観しておこう。
内航船は、1880年代末までにそれまでの和船から西洋型帆船、そして蒸気船へと交代していった。第1次世界大戦後は、蒸気機関よりも小型で経済的なディーゼル機関で推進するディーゼル船が実用化し、蒸気タービン船、ガスタービン船もあらわれた。それと並行して船腹の大型化や鋼船化も進んだ。
こうした船舶の高度化が全国各地での築港の進捗(しんちょく)や港湾施設の改良とあいまって、石炭や米など重量物の地域間格差の解消をもたらし、ひいては日本列島における産業立地の選択幅を広げることとなった。
第2次世界大戦期に「戦時標準船」などの粗悪な木造船を多く抱え込み、戦後は船腹過剰問題を引き起こしたが、1960年代後半にはエネルギー革命の進展で、タンカーの建造を中心に船腹の大型化、鋼船化が加速されることとなった。
鉄道輸送は、軍事輸送を重視する軍の意向もあって、1906(明治39)年に鉄道が国有化され、それ以降、それまでの
・官民併存にともなうプラットホーム
・車両の規格の不統一
・操車の困難
・複雑な運賃体系
が解消され、1910年代以降は、鉄道は本格的な長距離大量輸送機関として機能しはじめた。
自動車輸送はトラック車両の改善と道路整備があいまって、だんだんと地位を高めていったが、特に戦後高度成長期のモータリゼーションの進展にともなって大きく躍進した。
自動車による長距離輸送にとっては、国道や高速道路の整備、改善が重要である。高度成長期以前は国道でも未舗装や状態の悪さが目立っていた。例えば、国道4号線(奥州街道)は、舗装の質の悪さと長距離のために、大型トラックの運転手たちの間で「死号線」の異名で恐れられていたという。道路の貨物輸送は、戦後復興期における国道の整備と1970年代以降の高速道路整備、国道・地方道の舗装の進展により、大量輸送機関として内航海運と並び立つこととなったのである。