物流構造が大転換した「近代日本」 内航海運、鉄道、道路と主役交代した歴史を振り返る

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日本の貨物輸送は内航海運、鉄道、道路へと主役交代し、経済発展が加速した。明治維新後は鉄道輸送が急速に発達。今回はそんな貨物輸送の近代史をたどった。

日本で内航海運の役割が大きい理由

入港する内航貨物船(画像:写真AC)
入港する内航貨物船(画像:写真AC)

 現在、内航海運の貨物輸送の分担率は4割を切るまで縮小したが、それでも、内航海運の分担率は日本が世界1高い。詳しくは、2022年3月21日配信の本媒体の記事「ロシアの弱点は「道路輸送」だった! 特異な物流構造からウクライナ侵攻を考える」を参照されたい。

 このように日本で内航海運の役割が大きい理由としては、日本が海に囲まれた島国だからという説明が最も分かりやすいし、それが第1要因であることに間違いはない。しかし、上で述べたように江戸時代に幕府の政策で道路とそれを使った陸上輸送の発達が妨げられていたという負の遺産も無視できない。さらに、沿岸航路沿いに江戸時代の経済発展が見られたという産業史的な要因も大きいと私は考えている。

 江戸幕府は鎖国令と並行して、1635(寛永12)年に500石積み以上の大船や竜骨、複数帆柱をもつ外洋可能な船舶の製造を禁じる大船禁止令を発布。以降、これが解かれる1853年まで、戦国時代に大躍進しフィリピンに外洋船を輸出までしていた日本の造船技術は萎縮、停滞を余儀なくされた。沿岸海運に使用する商船に限って千石船が許されたが、それでも船底が平らで1本の帆柱に大きな横帆をあげるいわゆる和船構造のものに限られた。

 このため、航海術の衰えもあいまって海難事故が非常に多く(江戸時代の海難事故数は商船だけで毎年1000件を超えていた)、沿岸海運の発展は、難破して偏西風で流されても太平洋をさまようことがなく、陸地には漂着する日本海や瀬戸内海沿岸が中心となった。

 こうして、北海道から日本海、瀬戸内海を経て天下の台所である大阪に達する西回り航路を往来する北前船が実現した「北前船経済圏」とも呼ぶべき先進経済圏が興隆するに至った。この経済圏の中では、年貢米輸送、魚肥による農業生産増、昆布、塩、藍、綿、織物などの特産品の生産・流通が組み合わされ、江戸時代特有の産業発展がもたらされたのである。

 江戸時代は「停滞的な暗い時代だった」と位置づけたい明治以降の権力者や素朴な進歩史観を抱く学者によって、「北前船」はエピソード的にしか語られて来なかったが、実は、江戸時代の「北前船経済圏」は戦後の高度成長期をリードした「太平洋ベルト地帯」にも匹敵するような時代を画する存在だったといえるのである。

 このように日本の産業発展が沿岸海運と密接不可分のものだったことが、現代でも内航海運の役割がなお大きい理由となっているのである。

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