成田空港と並ぶ最悪事例? 「ベルリン・ブランデンブルク空港」の開港が9年延期された、目も当てられぬ理由

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ベルリン・ブランデンブルク国際空港の開港は、当初の予定から9年遅れ、工事費用が3倍に膨らむ結果となった。これには設計変更や過剰な要求が影響しており、インフラ計画の失敗を浮き彫りにした。この長期的な課題は、ドイツの公共事業にどんな教訓を与えたのだろうか。

ウクライナ戦争の影響

三里塚芝山連合空港反対同盟(北原派)の東峰にある立看「農地取上げを許さない」。2009年撮影(画像:あばさー)
三里塚芝山連合空港反対同盟(北原派)の東峰にある立看「農地取上げを許さない」。2009年撮影(画像:あばさー)

 ベルリン・ブランデンブルク国際空港は、2020年10月31日に9年遅れで開港した。この9年の遅れは、住民や新左翼の反対運動が激化し、流血事件を引き起こすほどだった

「成田空港の開港遅れ(1972年から7年遅れで1978年開港)」

を超えるもので、公共工事がいかに泥沼化していたかを物語っている。

 開港当初は、コロナ禍により航空需要が急減し、最悪のタイミングでのスタートとなった。そのため、空港の運営は連邦政府の助成金や貸付金を頼りにすることになった。

 その後、コロナ禍が収束し、現在では欧州各地や中国、シンガポール、米国などへの長距離路線が開設され、ベルリンの玄関口として機能し始めている。しかし、2022年に始まったロシアのウクライナ侵攻は、新空港の重要な顧客層であったロシアやウクライナからの需要を失わせた。また、エアベルリンの破綻によって、欧州の一大ハブ空港という構想も実現しなかった。

 結果として、当初の目的であるベルリンの航空需要を増加させるという目標は、達成が難しい状況となっている。

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