成田空港と並ぶ最悪事例? 「ベルリン・ブランデンブルク空港」の開港が9年延期された、目も当てられぬ理由

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ベルリン・ブランデンブルク国際空港の開港は、当初の予定から9年遅れ、工事費用が3倍に膨らむ結果となった。これには設計変更や過剰な要求が影響しており、インフラ計画の失敗を浮き彫りにした。この長期的な課題は、ドイツの公共事業にどんな教訓を与えたのだろうか。

冷戦の影響から脱却

ベルリン・シェーネフェルト空港のエプロン。1990年(画像:Ralf Manteufel)
ベルリン・シェーネフェルト空港のエプロン。1990年(画像:Ralf Manteufel)

 第2次世界大戦後、ベルリンには東西冷戦の影響を受けた三つの空港が存在していた。テンペルホーフ空港は西ベルリン封鎖時の航空輸送作戦の舞台となり、テーゲル空港は西ベルリンの中心、シェーネフェルト空港は東ベルリンの中心に位置していた。冷戦が終わった後も、これらの空港は統一ドイツの首都の玄関口として機能し続けた。

 しかし、40年以上にわたる冷戦と東西ドイツの分裂の影響で、ベルリンの経済は長期間低迷していた。これにより、長距離航空路の中心は、分裂前からあった旧西ドイツのフランクフルトやミュンヘンに移行していた。

 ベルリン州とブランデンブルク州は、シェーネフェルト、テンペルホーフ、テーゲルという3空港に分かれた航空ネットワークが需要を低迷させていることを問題視し、1996年に統一を目指す計画を発表した。具体的には、シェーネフェルト空港の拡張と、テンペルホーフとテーゲル空港の閉鎖を決定した。

 この計画では、既存の滑走路を3000mから3600mに延長し、新たに4000mの滑走路を設置し、旅客ターミナルも新設することになった。2006年に工事が開始され、2年後の2008年にはテンペルホーフ空港が閉鎖され、その路線はシェーネフェルト空港に移転した。

 その後、シェーネフェルト空港は「ベルリン・ブランデンブルク国際空港」と改称され、2011年に開港予定で工事が進められた。しかし、開港は2012年に延期されることになった。完成後は、新興航空会社エアベルリンの拠点として、ベルリンから欧州各地や北米、アジアへの路線展開が期待されていた。

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