成田空港と並ぶ最悪事例? 「ベルリン・ブランデンブルク空港」の開港が9年延期された、目も当てられぬ理由

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ベルリン・ブランデンブルク国際空港の開港は、当初の予定から9年遅れ、工事費用が3倍に膨らむ結果となった。これには設計変更や過剰な要求が影響しており、インフラ計画の失敗を浮き彫りにした。この長期的な課題は、ドイツの公共事業にどんな教訓を与えたのだろうか。

失われたハブ空港の夢

この空港は、ノーベル平和賞受賞者であるヴィリー・ブラント(西ベルリンの市長、西ドイツの首相を歴任)にちなんで名付けられた(画像:Bundesarchiv)
この空港は、ノーベル平和賞受賞者であるヴィリー・ブラント(西ベルリンの市長、西ドイツの首相を歴任)にちなんで名付けられた(画像:Bundesarchiv)

 ベルリン・ブランデンブルク国際空港の建設が遅れるなか、同空港を主要拠点とする予定だったエアベルリンの経営が急速に悪化し、2017年には債務不履行により倒産、ルフトハンザドイツ航空に救済合併されて消滅した。

 空港は、ドイツの首都としての役割に加え、エアベルリンが当時加盟していた航空連合・ワンワールドのドイツ拠点や、東欧拠点としての重要な役割が期待されていた。

 実際、2012年にベルリン観光局の局長が来日した際、ワンワールドメンバーであるJALに対して新規路線開設を要望しており、JALも当時の新機種ボーイングB787を使ってベルリン路線を開設する意欲を示していた。しかし、エアベルリンの経営悪化と破綻により、その後の進展はなく、現在も日本からベルリンへの直行便は運航されていない。

 また、エアベルリンを救済したルフトハンザも、同社がもともと拠点としていたフランクフルトやミュンヘンに比べて手狭な新空港をハブ空港として活用するメリットは薄く、子会社ユーロウィングスが主に欧州や中東・北アフリカへの路線を展開するにとどまっている。

 このように、長距離国際線を集めるために建設されたベルリン・ブランデンブルク国際空港は、エアベルリンという主要な航空会社を失い、開港前から当初の目的を失う事態に陥った。

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