株式上場が「20年」も遅れた、2つの決定的理由【短期連載】東京メトロ、破られた沈黙(2)

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東京メトロの株式上場が20年遅れた背景には、都営地下鉄との一元化問題や経済環境の変化があった。2004年に民営化されて以来、営業収益は約1.2倍に増え、関連事業も成長を遂げた。資産は1.5倍に拡大し、多角化も進んでいる。しかし、経営統合の障壁が上場を阻んできた。次回は、上場への道筋を探っていく。

石原知事の統合構想と壁

東西線(画像:写真AC)
東西線(画像:写真AC)

 株式上場が間近とされていた2006(平成18)年3月の都議会予算特別委員会で、当時の石原慎太郎都知事は次のように発言した。

「東京の地下鉄事業は本来一体化すべきだとかねがね思っている。今時点で、どうも金持ちの営団(現・東京メトロ)の方が、貧乏人とは結婚したくない、持参金があるならともかく、嫌だというのが実情で、これをどう説得していくか、真剣に考えなきゃいけないと思う」

これに対し、東京メトロは真っ向から拒否の意向を示していた。例えば、2008年の有価証券報告書には「都営地下鉄との一元化」が

「事業等のリスク」

として掲載されていた。

「当社は、当社と同じく東京都区部及びその周辺地域における地下鉄道事業を営む都営地下鉄とのサービスの一体化は、当社の利用者の利便性向上につながるものと考えており、地下鉄利用者の利便性向上への取り組みの検討を進めていきます。しかしながら、サービスの一体化の検討の結果によっては、当社グループの業績に影響を及ぼす可能性があります。なお、都営地下鉄については、公営企業という組織形態や累積欠損を抱えていることなどを考慮すると、当社との一元化を図るために解決されなければならない多くの問題が残されています。また、仮に都営地下鉄の経営状況の改善等の問題が解決されないまま一元化が行われることとなった場合には、当社グループの経営に重大な影響を及ぼす可能性があります」

このように、一元化を目指して影響力を確保したい東京都が売却を渋ったため、上場は停滞した。

 さらに、2008年の金融危機による株価の低迷や、2011年の東日本大震災後に国が株式売却益を復興財源とする方針を示したことも影響し、株式上場のタイミングを見極めるのが難しい状況が続いていたのだ。

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