大火のたびに屈せず復興 「日本の底力」は江戸時代から学べ【連載】江戸モビリティーズのまなざし(17)

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江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。

16回の大火災とその影響

『江戸の華』は明暦の大火を描いたものではないが、火災で燃え盛る町の恐怖を伝えている(画像:国立国会図書館)
『江戸の華』は明暦の大火を描いたものではないが、火災で燃え盛る町の恐怖を伝えている(画像:国立国会図書館)

 今回のテーマは、江戸で頻繁に起きた大火災とその対策・復興である。

 木造家屋が集中し、また炊事には竃(かまど)、照明には菜種油(なたねあぶら)、魚油(ぎょゆ。魚から採取した油)を燃やした行灯(あんどん)を使っていた。

 そのため、江戸時代は火の不始末によって火事が起きると、大惨事につながった。放火も少なくなかった。

 江戸時代約260年を通じて大火事は16回あり、死者は記録に残るだけで約16万人に及ぶ。不明者を加えれば死者はもっと多く、また、火事の回数は49回だったという説もある。

江戸の6割を焼き尽くした明暦の大火

明暦の大火の惨劇を描いた仮名草子『むさしあぶみ』。逃げ惑う人々を炎が包んでいく(画像:東京都立中央図書館特別文庫室)
明暦の大火の惨劇を描いた仮名草子『むさしあぶみ』。逃げ惑う人々を炎が包んでいく(画像:東京都立中央図書館特別文庫室)

 なかでも語り継がれるのが、1657(明暦3)年の明暦の大火だ。同年1月18日、80日以上も雨が降らなかった乾燥した気候のなか、3か所で火事が連続して発生し、強風にあおられて燃え広がった。

 当時の消防技術は家屋を破壊して延焼を防ぐものだったが、それでは間に合わず、川や海のある地点で焼き止まるほか、打つ手がなかった。

 被災地は現在の千代田区と中央区のほぼ全域、北は台東区、東は江東区、南は港区、西は新宿区まで。江戸の市街地の実に6割を焼き尽くした。死者は6万人とも、10万人ともいわれる。

 悲劇はさらに続いた。浅井了意(あさいりょうい)が著した仮名草子『むさしあぶみ』は、鎮火した後は一転して雪が降り、焼け出されて家のない庶民に凍死者が続出したと記している。

 このときに江戸城天守も焼失した。牢屋(ろうや)奉行が牢屋敷に収容していた囚人たちを逃すため、いったん解き放ち、全員が戻ってきたという逸話も残る。

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