率直に問う 「四国新幹線」は本当に必要か? 喧伝される“時短メリット”への根本的懐疑
「高速道路」の存在

さらに四国新幹線の有用性に疑問を抱かせているのは、
「高速道路」
の存在である。かつて、JR四国は高速道路を競合相手とみなし、全国でも例を見ないほど高速化に力を注いでいた。そして、愛媛県と高知県もまた、予讃線と土讃線の高速化を利便性向上のカギとしていた。
列車の高速化による時短は、JR四国が発足直後から取り組んだ一大プロジェクトだった。当初から赤字は確定、建設が進んでいた四国内の高速道路が完成すればさらにジリ貧になる同社にとって、高速化は起死回生の切り札だった。
実際、プロジェクトはめざましい結果を出している。1989(平成元)年、JR四国は初めて振り子式のディーゼル車両であるN2000系を開発。これにより列車は最高時速120km(高徳線は時速130km)で走行できるようになり、岡山~高知間の所要時間は18分短縮された。
さらにJR四国は、枕木のコンクリート化や通過線の直線化などで高速化に傾注。その結果、民営化直後は1時間26分かかっていた高松~徳島間の所要時間が58分(33%減)になるなど、劇的な高速化が実現した。
しかし、いま路線の高速化に向けた努力は止まっている。行政から要望されなくなったのだ。前出の高知県庁によると、「特に理由はない」が、もう何年も要望はないという。結局、高速化しても高速道路には勝てなかったのだ。
四国初の高速道路は1985(昭和60)年、愛媛県の三島川之江~土居間に誕生した。当時わずか11kmだった高速道路は急速に延伸され、1988年には瀬戸大橋で本州と結ばれている。その後も工事は続き、2000(平成12)年には高速道路から瀬戸大橋を経由して、すべての県都が本土と行き来できるようになった。これらの整備によって、四国内外の交通手段は、鉄道よりも便利で安価な高速バスに移行した。列車の高速化は報われることはなかった。
在来線の高速化で高速道路に太刀打ちできない。そこで新たに打ち出されたのが、より高速の利点を生かした交通手段、すなわち四国新幹線であった。