昭和の風景がよみがえる 懐かしの「行商列車」物語、激動の時代に生きた“千葉のオバさん”の一日とは

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かつて、東京に住む人たちにとって「千葉のオバさん」は見慣れた光景だった。「千葉のオバさん」とは同県近郊の農村から上京し、採れたての野菜を背負って売り歩いていた行商の女性たちだ。そんな彼女たちを運んでいたのが「行商列車」と呼ばれる列車だった。

「行商列車」の成り立ち

京成線。千葉県佐倉市(画像:写真AC)
京成線。千葉県佐倉市(画像:写真AC)

 かつて、東京に住む人たちにとって「千葉のオバさん」は見慣れた光景だった。「千葉のオバさん」とは同県近郊の農村から上京し、採れたての野菜を背負って売り歩いていた行商の女性たちだ。そんな彼女たちを運んでいたのが「行商列車」と呼ばれる列車だった。

 行商列車の始まりは、1923(大正12)年の関東大震災の後、千葉県と茨城県の農家が常磐線で野菜を東京まで運んだことといわれている。昭和初期には日本国有鉄道(国鉄)の

・成田線
・総武線
・常磐線

などで、多くの行商列車が運行されていた。

 行商が盛んになった理由は、1930(昭和5)年から1931年にかけて深刻化した農業恐慌だ。当時、政府のデフレ政策と豊作によって米価が下落、さらに世界恐慌で生糸の輸出が激減し、日本の農村部では収入源が断たれた。

 そのため、わずかな現金収入を得るために東京へ野菜を売りに行く人が増えた。さらに、また、1938年と1941年には千葉県の利根川、印旛沼、手賀沼が相次いで大洪水に見舞われたことも行商が増えた理由とされている。行商は、農民がわずかな現金収入を得る手段だったのである。

 その結果、定期運賃を買うお金がない人の貧しさにつけ込む高利貸も現れ、定期運賃を貸す代わりに

「毎日の売上金の10%」

を利息として取ることが当たり前になっていたという記録もある。

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