昭和の風景がよみがえる 懐かしの「行商列車」物語、激動の時代に生きた“千葉のオバさん”の一日とは

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かつて、東京に住む人たちにとって「千葉のオバさん」は見慣れた光景だった。「千葉のオバさん」とは同県近郊の農村から上京し、採れたての野菜を背負って売り歩いていた行商の女性たちだ。そんな彼女たちを運んでいたのが「行商列車」と呼ばれる列車だった。

40年前時点で激減

勝田台駅の位置(画像:OpenStreetMap)
勝田台駅の位置(画像:OpenStreetMap)

 高度成長期を迎えると、行商は数を減らしていた。

 1949(昭和24)年当時、京成線の行商列車は1日3往復あり、約3000人の行商が利用していた。しかし、1981年には1日1往復になり、利用客は約300人に激減した。

 当時経営難で、合理化を進めていた京成電鉄は行商列車の廃止を計画した。車両すべてが行商専用の編成を廃して、編成のうち1両を行商専用の車両にするというものだった。住宅地が開発され、田園地帯を走る路線から

「サラリーマンを都心に運ぶ路線」

に変貌しつつあったため、行商列車は無用の長物となっていた。この案には行商のみならず、沿線からも廃止の声があがった。成田市議会と佐倉市議会は存続を求める決議を採択している

 それまで行商列車は、大量の荷物を運ぶために各駅停車は一般客を乗せないで運行してきた。それが、一部の車両だけになれば、ラッシュアワーの時にトラブルは避けられないと懸念されたからだ。しかし、京成電鉄は専用列車廃止の方針を変えず、1982年2月に行商列車を廃止し、成田8時発の特急1本と急行2本に行商専用車両を設ける形になった。

 この改変をきっかけに、行商は急速に減少していったとされる。当事者の高齢化も進んでいた。また、都会化した京成線沿線で行商をしなくても現金が手に入るようになっていた。そのため、専用列車の廃止は、彼らが引退を決意する契機となった。

 こうして、かつてはよく見かけた都会の風景であった行商は、次第に珍しい存在となっていった。京成線では、各駅のホームに「当駅○時○○発(平日)普通上野行の最後部1両は行商専用車です」という表示があることが知られていたが、実際に行商を見たことがある人は少なかった。

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