大手私鉄の兼業といえば「不動産」「流通」も、戦前はなんと電気事業が圧倒的だった!
大手私鉄はコングロマリットを形成しているが、戦前はそのなかでも電気事業が圧倒的な存在感を占めていた。その歴史をたどる。
最低の鉄道事業比率
「いきなりですがクイズです。日本で電車を走らせている(いた)会社で、会社全体の売り上げに占める鉄道事業の割合がもっとも低かった会社は、いつのどの会社でしょう?」
つまり鉄道以外の事業部門が大きく、会社の事業のなかで鉄道が至極マイナーだった会社はどこか、思いつくだろうか。
例えば大手私鉄でも、西日本鉄道(福岡県福岡市)は航空貨物や不動産、流通などの事業が大きく、連結決算で運輸業は1割そこそこである。しかも運輸業のうち日本最大級のバス事業の方がずっと売り上げは多く、鉄道の売り上げは3%あまりにすぎない。
だが過去を調べると、なんと会社全収入に占める鉄道事業比率
「0.01%(1%ではない!)」
という、数字だけ見ると、どうしてそうなったのか奇妙な会社が存在していた。
その答えは、1933(昭和8)年度の東京電灯である。同社は現在の東京電力の前身となった、戦前の日本最大の電力会社である。
この年度、東京電灯は東京始め関東一円の電気事業でおよそ1億1000万円(現在でいえば約3000億円)の収入があったのに対し、電車の収入はたったの
「1万5000円」
にすぎなかった。
この電車は、もとは吾妻(あがつま)軌道といい、群馬県の渋川~中之条間を結んでいた、馬車鉄道を電化したささやかな軌道(路面電車)であった。
この会社は沿線での電気供給事業も行っていたこともあって他の電力会社に吸収され、紆余(うよ)曲折を経て東京電灯の一角となったのであるが、田舎のこんな軌道は昭和初期でももう時代遅れだった。バスが普及すると存在意義を失い、1933年度で廃止されてしまうのである。