鉄道会社は現代人の「豊かさ」「幸せ」に根深く関与している 我々はなぜそれに気付かないのか
幸せや、豊かさ。私たちの生活の満足度を決めるこうした価値観は、いかにして形作られてきたのか。そこには鉄道会社の存在が、切っても切り離せないものとして横たわっている。
近現代における「幸せ」とは何か?

あなたは「幸せ」ですか?
唐突に問われても、もちろんすぐには答えられない人が多いだろう。とりあえず思いつくのは、当面の衣食住をはじめとする生活に不便しておらず、何がしかやりがいのある人生を送れているということが、「幸せ」になるだろうか。
ただここで厄介なのが、人はどうしても自分を他人と比べがちだということである。自分が他人、世間一般よりも欠けるもの、例えば配偶者なり持ち家なりがないと、とりあえず不便していなくても、なんだか自分が不幸であるように思ってしまいがちだ。
そこで資本主義社会では、人並みの消費をすることで、自分が「幸せ」であることを確認する。かくしてトルストイが言うように、「幸せな家庭はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家庭にはそれぞれの不幸の形がある」(『アンナ・カレーニナ』望月哲男訳)ということになる。
幸せな家庭とは、あるべきものがそろっているから幸せなので、当然その様子は似てくるのである。
さて、となるとここにビジネスチャンスが生まれる。何を買えば自分が「幸せ」なのか、「豊か」であると認識できるのか、迷っている人々に「これを一式そろえれば『幸せ』になりますよ!」と売りつければ、これはうまい商売になるだろう。
この商法を世界で最初に始めたのは、19世紀フランスで活躍した商人アリステッド・ブーシコー(1810~1877)とされている。ブーシコーこそ、百貨店の発明者なのである。
19世紀のフランスは、政治・経済両面での革命をへて、貴族からブルジョワジーに社会の中心が移っていた。ところが新興階級のブルジョワは、自分たち独自の文化のスタイルを持っていない。そこに登場したブーシコーの百貨店の商法は、次のようなものだった。