大手私鉄の兼業といえば「不動産」「流通」も、戦前はなんと電気事業が圧倒的だった!
大手私鉄はコングロマリットを形成しているが、戦前はそのなかでも電気事業が圧倒的な存在感を占めていた。その歴史をたどる。
電車と電力の深い関係
そもそも、電車事業と電気事業は発端から深い関係があった。
日本で最初に電車が走ったのは、1890(明治23)年の第三回内国勧業博覧会でのことであった。日本最古の電力会社でもある東京電灯が、米国から輸入した電車を走らせたのである。この電車を輸入した東京電灯の技術者が、“日本の電気の父”といわれる藤岡市助で、藤岡は“日本の電車の父”でもあった。
このデモンストレーションをきっかけに、日本でも電車事業の機運が盛り上がり、1895年に京都電気鉄道(のち京都市電、1978年廃止)が開業する。京都電鉄は京都市が建設した蹴上の水力発電所から電気を得られたが、この時代はまだ長距離送電のめどがついておらず、電車を運転する際の電気を調達することが困難だった。そこで京都に続いて開業した各地の電車は、自社で火力発電所を建設して電気を賄った。
するとここでひとつのアイデアが浮かぶ。せっかく海外から輸入した高価な発電機(当時は無論、高度な電気機械は国産できなかった)を、終電後の夜に遊ばせておくのはもったいない。当時は工場の電化も進んでおらず、電気の需要はもっぱら電灯であった。そこで夜中も発電機を動かし、電灯事業を始めたのである。
最初の電車の輸入先であった米国でも、電車と電灯を兼業する会社は多く見られ、おそらくはそれに倣ったものと考えられる。最初に電車と電灯を兼営したのは、当時は御殿場まわりだった東海道線から国府津で分岐し、小田原や箱根湯本までを結んだ小田原電気鉄道(現・箱根登山鉄道)で、1900年のことであった。