多摩ニュータウンと田園都市 よく似た場所なのに、片方だけが「人気エリア」になった理由
鉄道会社による「幸せ」セット販売とは
近現代を生きる人々の「幸せ」や「豊かさ」の指針に、鉄道会社はどのように影響してきたのか。前回記事(2022年12月17日配信「鉄道会社は現代人の「豊かさ」「幸せ」に根深く関与している 我々はなぜそれに気付かないのか」)に続く本記事では、現代における社会や家庭の形成に果たした役割について詳述する。
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外へ働きに出る父親と、家事や育児を担う母親というモデルからなる「近代家族」、そしてそうした家庭によって形成される「新中間層」は、1920年代に日本でも台頭してくる。それと軌を一にして、阪急はじめ電鉄の多角化モデルも進展していった。郊外住宅地の開発が引き続き進められるだけでなく、新たな娯楽が登場する。
1910年代からすでにグラウンドを設けてスポーツ客を誘致する動きがあったが、1920年代には家族連れを意識して遊具を設けた遊園地が相次いで建設されていく。郊外への行楽も、ハイキングという家族連れ向けで健全な看板を掲げるようになった。
そして1929(昭和4)年には、阪急が梅田にターミナルデパートを開店する(直営のマーケットとして1925年に開店していたのを拡充した)。まさに「豊かさ」のセット販売に乗り出したのである。
郊外の衛生的な環境に一戸建てを構え、百貨店で階層にふさわしい消費文化を求め、休日は家族連れで健全な娯楽を楽しむ。デパートのみよりもさらに幅広い、「幸せ」のセット販売モデルが形成されたのであった。
それは日本における近代家族の形成を助けたとも言えるし、また日本の都市化や産業の高度化に伴う近代家族の成長にうまく乗ったとも言えるのである。ちなみに阪急の多角的サービスの中には、結婚相談所もあった。近代家族形成を直接に手助けしたのである。
近代家族の、マイホーム的な幸福像もおそらくアメリカに由来するだろうが、アメリカではモータリゼーションの急速な進展によって、その幸福の中心には自動車が鎮座することとなった。電車は「幸せ」のセットから外れてしまったのである。
しかし日本では、モータリゼーションの普及はずっと遅れたため、自動車の普及前に電車で都市と結ばれた郊外が「幸せ」のセットとなったのであった。