大手私鉄の兼業といえば「不動産」「流通」も、戦前はなんと電気事業が圧倒的だった!

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大手私鉄はコングロマリットを形成しているが、戦前はそのなかでも電気事業が圧倒的な存在感を占めていた。その歴史をたどる。

米国的な現代生活への憧れと施策

阪急が駅に掲げた明灯明視運動宣伝の看板。駅という有利な宣伝場所を持っている電鉄会社ならではの宣伝ではあるが、「歯はいればでもまにあひますが 眼はいれめではまにあひません」という宣伝文句が時代を感じさせる。『電気経済時論』1935年10月10日号より(画像:嶋理人)
阪急が駅に掲げた明灯明視運動宣伝の看板。駅という有利な宣伝場所を持っている電鉄会社ならではの宣伝ではあるが、「歯はいればでもまにあひますが 眼はいれめではまにあひません」という宣伝文句が時代を感じさせる。『電気経済時論』1935年10月10日号より(画像:嶋理人)

「住みよい家」のモデルが米国だったように、戦前から米国的な現代生活への憧れは存在しており、電鉄の経営手法も米国の影響を受けていた。

 米国由来の興味深い電力業振興策としては、1930年代に展開された「明灯明視運動」が挙げられる。「暗いところで本を読むと目が悪くなる」とは誰しも聞いたことがあるだろうが、その言葉のもとは米国由来のこの運動にあるらしい。

 阪急はいち早く米国のこの運動をとりいれ、近代家族を形成した子育て重視の新中間層に電気スタンドやより明るい照明を売り込んだのである。これについては、筆者が当媒体に書いた「鉄道会社は現代人の「豊かさ」「幸せ」に根深く関与している われわれはなぜそれに気付かないのか」(2022年12月17日配信)を参照されたい。

 他の兼業との協働としては、1929(昭和4)年に開業した阪急百貨店も、電化製品を取り扱っている。戦前は今のような郊外型家電店はもちろんなく、「街の電器屋さん」もまだわずかで、電化製品は電力会社自身が販売することが多かった。百貨店も重要な家電の販路だったのである。電力兼業メインで他の兼業が少なかった阪神電鉄でも、家電取り扱いをひとつの目的として阪神マートを設けている。

 その他の面白い施策としては、郊外に延びる電鉄の沿線にはまだまだ農村が多かった当時、農家向けの電灯売り込みもあった。それが点灯養鶏といい、日照時間が長い季節にだけ卵を産む習性のある鶏に、電灯をつけることで季節を勘違いさせ、日照時間にかかわらず卵を産ませるというものである。しかも生産された卵は、阪急が百貨店の大食堂用に買い取るという、まこと多角経営をうまく生かした仕組みだった。

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