大手私鉄の兼業といえば「不動産」「流通」も、戦前はなんと電気事業が圧倒的だった!
大手私鉄はコングロマリットを形成しているが、戦前はそのなかでも電気事業が圧倒的な存在感を占めていた。その歴史をたどる。
電熱事業の興隆と挫折
そのようなわけで、この時代の電鉄は兼営電力業にさまざまな力を入れた。
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まず注目されたのは、電気消費量の大きい電熱である。炊事道具や暖房器具などを、電鉄会社自身が開発し、自社の電気事業の営業所や、新たに兼業で始めた百貨店などで販売した。1920年代末には電熱が郊外の家庭にある程度浸透したのである。
ところがこの時代の電熱器具は効率が悪く、価格も割高だった。郊外の発展によって都市ガスが郊外にも進出すると、炊事用の電熱はガスに取って代わられてしまった。照明では電気に敗れたガスも、炊事では電気に一矢報いたのである。
それでは新たな電気需要振興策にはどのようなものがあったか。
多角経営電鉄の代表例である阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の例を見てみよう。阪急といえば沿線で郊外住宅地を開発して売り出した、今につながる不動産兼業の創始者としてつとに知られているが、阪急では兼業同士のタイアップを図ったのである。
そもそも阪急の開発地は阪急の電気供給区域内であったから、初めから電気供給ありを売りにすることができた。さらに阪急は米国の家屋電化の規格を導入して、あらかじめ家に電化設備を整備した家を「住みよい家」と銘打って売り出した。
これは家のなかにあらかじめ電灯線やスイッチ、コンセントを設けたもので、現代のわれわれが享受している、電化された生活のもとといえる。