大手私鉄の兼業といえば「不動産」「流通」も、戦前はなんと電気事業が圧倒的だった!

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大手私鉄はコングロマリットを形成しているが、戦前はそのなかでも電気事業が圧倒的な存在感を占めていた。その歴史をたどる。

電熱事業の興隆と挫折

「阪急型万能七輪」の広告。電鉄会社が自ら電気器具を開発して、兼業の電力業を盛り上げようとしていた。ただし当時の電気炊事は、都市ガスにコスト面でかなわなかった。阪急が沿線向けに発行していた広報紙『阪神毎朝新聞』の1926年2月1日号より(画像:嶋理人)
「阪急型万能七輪」の広告。電鉄会社が自ら電気器具を開発して、兼業の電力業を盛り上げようとしていた。ただし当時の電気炊事は、都市ガスにコスト面でかなわなかった。阪急が沿線向けに発行していた広報紙『阪神毎朝新聞』の1926年2月1日号より(画像:嶋理人)

 そのようなわけで、この時代の電鉄は兼営電力業にさまざまな力を入れた。

 まず注目されたのは、電気消費量の大きい電熱である。炊事道具や暖房器具などを、電鉄会社自身が開発し、自社の電気事業の営業所や、新たに兼業で始めた百貨店などで販売した。1920年代末には電熱が郊外の家庭にある程度浸透したのである。

 ところがこの時代の電熱器具は効率が悪く、価格も割高だった。郊外の発展によって都市ガスが郊外にも進出すると、炊事用の電熱はガスに取って代わられてしまった。照明では電気に敗れたガスも、炊事では電気に一矢報いたのである。

 それでは新たな電気需要振興策にはどのようなものがあったか。

 多角経営電鉄の代表例である阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の例を見てみよう。阪急といえば沿線で郊外住宅地を開発して売り出した、今につながる不動産兼業の創始者としてつとに知られているが、阪急では兼業同士のタイアップを図ったのである。

 そもそも阪急の開発地は阪急の電気供給区域内であったから、初めから電気供給ありを売りにすることができた。さらに阪急は米国の家屋電化の規格を導入して、あらかじめ家に電化設備を整備した家を「住みよい家」と銘打って売り出した。

 これは家のなかにあらかじめ電灯線やスイッチ、コンセントを設けたもので、現代のわれわれが享受している、電化された生活のもとといえる。

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