大手私鉄の兼業といえば「不動産」「流通」も、戦前はなんと電気事業が圧倒的だった!

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大手私鉄はコングロマリットを形成しているが、戦前はそのなかでも電気事業が圧倒的な存在感を占めていた。その歴史をたどる。

電車の電力兼業あれこれ

 1920年代に入ると、大都市圏の発展は一層加速し、関東大震災も旧市街が焼け野原となったことでむしろ都市の郊外への拡大に拍車をかけた。この状況に、新たな電鉄が登場してくる。

 関東では目黒蒲田電鉄・東京横浜電鉄(現・東急電鉄)や小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)、関西では新京阪鉄道(現・阪急京都線)や阪和電鉄(現・JR阪和線)などである。また関東では東武鉄道や武蔵野鉄道(現・西武鉄道)が汽車から電化している。ちなみに小田急は、鬼怒川水力電気という電力会社が、子会社として設立した会社であった。

 ところがこれらの新たな電車は、ほとんどの場合電力業を兼営できなかった。電力の普及が急速に進んだため、すでに沿線が他社の電気供給区域となっていて、自社の電気供給区域を獲得できなかったのである。そのためもあって、これらの新たな電鉄は経営が不振な場合も多かった。

 一方、先行者利益で沿線に電力業を展開できた私鉄は、この時期も電力業から安定した副収入を得ていた。現在の大手私鉄が得られた電気供給区域は、ターミナルの大都市はすでに電力会社が存在したため、主に郊外の沿線だった。その郊外の発展が加速し、電力は会社を支える重要な兼業となった。

 郊外なので、多くの場合、工場立地は多くなかったが、不景気にも需要を左右されにくい家庭向けの電灯が、会社の経営を支える役割を果たしたのである。とりわけ1930(昭和5)年から始まる昭和恐慌期には、各社とも電車の経営状態が悪化したが、兼業の電力が底堅く経営を支える役割をした。全社の収入に占める電力業の比率もこの時期に上がっている。

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