武田信玄が遺した「棒道」「信玄堤」という揺るがぬ遺産をご存じか【連載】江戸モビリティーズのまなざし(13)

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江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。

名高い信玄堤の建設

『甲越勇将伝 武田大膳大夫従五位下兼信濃守晴信入道信玄』(画像:東京都立中央図書館特別文庫室)
『甲越勇将伝 武田大膳大夫従五位下兼信濃守晴信入道信玄』(画像:東京都立中央図書館特別文庫室)

 権力者にとって、自らが治める地のインフラ整備は重要だった。戦国時代の大名もしかりだった。名君と呼ばれた者は、高度な技術と膨大なコストを伴う土木事業を行っている。現在放送中のNHK大河ドラマ『どうする家康』で、俳優の阿部寛さんが演じる武田信玄もそのひとりである。信玄のインフラ整備で名高いのは、信玄堤の建設だろう。

 甲府盆地を流れる釜無川(かましがわ)・御勅使川(みだいがわ)は、たびたび氾濫しては甚大な被害を及ぼしていた。原因は複数の河川が合流し、扇状地(川が運んできた土砂が扇状に堆積した場所)となっていた場所が広域にわたってあったからだ。

特に釜無川周辺は扇頂部(扇状地が始まる部分)に当たる。こうした場所は大雨が降ると川の増水の直撃を受けやすく、治水対策が大きな課題だったのである。

『甲斐国史』(山梨県の地史)にも

「治水は国家の専務なり」

と記されており、洪水を制するのは統治者に課せられた責務だった。

 そこで信玄は堤防を築き、また釜無川の川筋(水の道筋)を本来流れていたるところより西に変え、これによって水の勢いを弱めた。また、大聖牛(だいせいぎゅう)という、材木を組み合わせて作った三角すいの用具も設置した。聖牛にも水の勢いを弱める効果があった。

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