大分空港「ホーバークラフト」は交通網再整備の旗印となるか? 2009年廃止からの復活、コロナ後の活躍に期待集まる

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2009年10月に廃止された、大分空港と大分市内とを結ぶホーバークラフト(ホバークラフト)航路の再開準備が進められている。その歴史を振り返る。

国内のホーバークラフトの歴史

ホーバークラフト(画像:大分県)
ホーバークラフト(画像:大分県)

 2009(平成21)年10月に廃止された、大分空港と大分市内とを結ぶホーバークラフト(ホバークラフト)航路の再開準備が進められている。その歴史を振り返る。

 ホーバークラフトの歴史は意外に新しい。研究は19世紀から進められてきたが、実用化されたのは1959年だ。同年、イギリスの「サンダース・ロー SR.N1」がドーバー海峡を2時間で横断。以降、新たな改造輸送手段として注目されるようになった。

 日本での導入は早く、1967(昭和42)年にイギリスの造船所と三菱の技術提携で開発さされ、熊本~本渡(天草)、熊本~島原間を就航している。最高時速は120kmで、前者を45分、後者を20分で結んだ。ちなみに現在、熊本~本渡に航路はなく、最も早い交通機関である高速バスでも約2時間40分かかる。

 客数に対して維持費がかさんだため、日本初のホーバークラフト航路は1年で廃止された。それでも各地で航路の新設が相次ぎ、

・伊勢湾
・瀬戸内海
・別府湾

など、各所で三井造船の製造した国産ホーバークラフトが就航した。

 しかし、同じく費用対効果が乏しいことから、定期運航は減少していった。最も有名な航路は、国鉄が宇高航路(岡山県玉野市の宇野港と香川県高松市の高松港の間で運航されていた航路)で運航していたものだ。鉄道連絡船で1時間かかる宇野~高松間を23分で結んでいたが、瀬戸大橋の開通とともに廃止され消滅した。

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