国際航路はコロナ禍で大打撃も 下関~釜山の「関釜フェリー」は毎日1便運航しているワケ
苦戦する国際航路

新型コロナウイルスの感染拡大で、海外旅行はほぼ不可能な状態になった。ビジネスで渡航する人はわずかにいるが、飛行機の便数は大幅に減った。その一方で気になるのが、国際航路の動向だ。
感染拡大の2020年まで、日本と海外を結ぶ航路はいくつか存在した。そのなかでもっとも知られるのは、下関と韓国の釜山の間を毎日運行する関釜(かんぷ)フェリーだろう。そのほかにも、博多港や対馬と釜山を結ぶものや、大阪・神戸と釜山・上海を結ぶもの、境港からは東海(韓国)を経由してウラジオストクを結ぶものもあった。
感染拡大以降に航路が完全に消滅したのは、境港~ウラジオストク間のDBSクルーズフェリーのみだった。2009(平成21)年6月に新設された航路は、日韓関係の悪化で2019年11月に運休。その後も復活が期待されていたが、コロナ禍で今後の見通しが立たなくなったため、2020年4月に免許を返上し運営会社は解散した。
その後、2020年11月に同社の所有船を購入した韓国の船会社が、舞鶴港から韓国の浦項(ポハン)を経由してウラジオストクを結ぶ航路を開設したものの、貨物需要は少なく、予定していた旅客取り扱いも一度もないまま、航路は2021年に廃止された。
博多港や対馬港と釜山を結んでいた高速船も厳しい。2010年代後半、対馬海峡を横断する高速船は、韓国からの買い物客需要を見込んで参入する会社が急増した。JR九州高速船は博多~対馬~釜山を結んでおり、さらに韓国の船会社による対馬~釜山航路には韓国から3社が参入するほどだった。
これによって、船の入港する対馬最北端の比田勝港は韓国バブルに一時沸いた。港の周辺はハングルの看板だらけになり、観光客も日本人より韓国人が多かった。当時、筆者も取材したが、地元民に
「あなた日本人? なにしに来たんですか?」
といわれるほどだった。
しかし、日韓関係の悪化によってそんな活況も冷え込み、新型コロナウイルスの感染拡大で壊滅した。