東京湾発「長距離フェリー」の現在 環境意識の高まりで注目、令和の船旅のありかたとは
営業収入の約7割が貨物輸送
現在、わが国で運行されている長距離フェリー15航路のうち、東京湾を出発するのは2航路。日本のカーフェリーの歴史をたどりながら、身近な船旅のありかたを考える。
運送業界のドライバー不足やCO2排出量低減の推進など、モーダルシフト(環境負荷の小さい鉄道や船舶を使った貨物輸送への転換)の推進でその重要性が注目されているカーフェリー。各社とも営業収入の
「ほぼ7割」
がトラックなどの貨物輸送で、乗用車と一般旅客は3割ほどだ。
大型連休や夏休みは多くの乗船者でにぎわっていた長距離フェリーも、新型コロナの流行により、2020年8月の旅客数は、実に前年度比8割減まで落ち込んだ。フェリー各社は旅客数の制限やキャンペーンによる個室利用の促進など、さまざまな対策を講じながら、長引くコロナ禍からの需要回復に取り組んでいる。
日本のカーフェリー黎明期
日本の長距離フェリーのスタートは1968(昭和43)年、北九州の小倉と神戸を結んだ阪九フェリーがその幕開けとなった。
名神高速道路が日本初の自動車専用道路として部分開通したのが1963年、東名高速の全通は1969年だ。高速道路網が未整備だったこの時期、国内のフェリー航路は年々増加し、6年後の1974年には18社27航路に広がっている。
中でも多くの航路がもうけられたのは関西と九州を結ぶルートだ。山陽道・中国道が整備される1980年代まで、大きな輸送力と高い定時性をもったフェリーは西日本の物流を支える大動脈となっていく。
フェリー業界は旅客輸送にも力を入れ、1970年代に入ると整った船内設備をもつ新船が次々に就航、観光ブームの広がりの中で人気を集めた。しかし1973年の石油ショックによる不況と燃料価格の上昇は船会社に大きなダメージを与え、国内フェリーの発展にブレーキをかける要因となった。