第2次大戦、米英両雄パットン・モントゴメリーの「戦争指導」の違いをご存じか

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第2次世界大戦ヨーロッパ戦線の戦いで活躍した代表的な軍人、アメリカのジョージ・S・パットンとイギリスのバーナード・モントゴメリーについて、ロジスティクスを中心とした戦争指導を比較する。

パットンの戦争指導と評価――ロジスティクスを中心として

 一般的に第2次世界大戦のアメリカ軍は、前線の可能な限り広い範囲で同時に攻撃を実施し、多くの地点でドイツ軍を拘束することによって、敵に対応のための機会を与えないことを旨とする戦略を採用していた。

 もちろん当時はまだ、この大戦初期のドイツ軍による「電撃戦」の有用性については正当に評価されていなかったが、パットンはこうしたアメリカ軍の戦略に異議を唱え、ある1点での突破こそが有用であると唱えた。

 局地的な突破とその後の敵後方への浸透という戦い方であり、「機甲戦理論」である。加えて、彼はこうした戦い方を遂行する上で、対地支援のための空軍力の重要性を十分に理解していた。事実、彼は実戦の場においても空軍力、とりわけ地上部隊に対する航空支援を重視した。

 指揮官としてのパットンは、部下の独断を許容する方針を貫いた。そのために彼は、部下に自信を持たせるさまざまな工夫を行っている。作戦の遂行に際して、彼が臨機応変を重視した事実は疑いない。だが、もちろんこうした方針は負の側面も備えている。実際、パットンは自らが独断で行動した結果、アメリカ軍の戦略の中で、さらには連合国軍の戦略全体の中で、しばしば摩擦と対立を生むことになった。

 パットンは、戦場で自らが常に主役であることを望んだ。そのため、シチリア上陸作戦ではモントゴメリーに対抗する意味でも、例えばメッシーナ攻撃ではやや強引な作戦を実施した。「ナチス=ドイツではなく、イギリスと戦っている」との皮肉に満ちた評価が存在したゆえんである。その結果、自軍兵士からの反発も強くなった。まさにパットンはアメリカ軍兵士の「血と腸」で自らの栄光を勝ち取っているとの批判である。

 だが彼は、あくまでも戦場での勝利にこだわった。そうしてみると、彼は20世紀型の「軍人(ソルジャー)」ではなく、それ以前の「戦士(ウォリア)」だったのだろう。

 つまりパットンは、総力戦という文脈の下での戦いの様相はもとより、指揮官のリーダーシップのあり方も変化していた事実を理解できなかったということだ。総力戦時代の戦いでは、指揮官にはロジスティクスの側面を含めて大規模な部隊を「管理」あるいは「経営」できる能力が求められていたのであり、いわゆる「武勇」などあまり必要とされなくなっていたのである。

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