第2次大戦、米英両雄パットン・モントゴメリーの「戦争指導」の違いをご存じか

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第2次世界大戦ヨーロッパ戦線の戦いで活躍した代表的な軍人、アメリカのジョージ・S・パットンとイギリスのバーナード・モントゴメリーについて、ロジスティクスを中心とした戦争指導を比較する。

物量でドイツ軍圧倒

ドレスデンにあるドイツ連邦軍軍事史博物館(画像:写真AC)
ドレスデンにあるドイツ連邦軍軍事史博物館(画像:写真AC)

 エル・アラメインの戦いでモントゴメリーは、当初、同地に強固な防衛陣地を構築した上、綿密な計画を基礎として、そこにドイツ軍の戦車部隊を誘い込むことに成功した。その後、さらに数カ月にわたる周到な準備の後、10月24日、ついに大規模な攻撃を開始し、決定的な勝利を得たのである。モントゴメリーによる事前の周到な欺瞞(ぎまん)作戦に混乱されたドイツ軍は、この反撃を全く予期できず、劣勢に立たされ、形勢を立て直すことができないまま敗走を重ねることになる。

 モントゴメリーは、ドイツ軍が準備した地雷原について、技術と物量で突破を試みた。すなわち、大規模な砲撃によってこれを爆発させたのである。ここでもモントゴメリーは、物量の戦い――こうした戦い方を実施するためには軍隊のロジスティクス能力が勝敗を大きく左右する――を挑んだが、物資不足に苦しむドイツ軍は、これに対抗する手段を持ち得なかった。

 例えば、8月末にドイツ軍は、エル・アラメインに対する最後の攻撃を行ったが、その時点で部隊に届いた燃料(ガソリン)は、必要量の3分の1以下であったとされる。これ以上攻撃を遅らせればイギリス軍を強化させるだけとの判断の下、ドイツ軍は攻撃を開始したが、この地域の制空権を完全に獲得していたイギリス空軍によって撃滅されたのである。

 こうしてイギリス軍は、エル・アラメインの戦いに勝利した。今日でもモントゴメリーは、「エル・アラメインの勝者」としてイギリス国民から英雄視されている。彼の戦い方は、決して派手なものではなかったが、必要な糧食や武器弾薬の集積に代表されるように、勝利のための方策を着実に積み上げるという、慎重かつ手堅いものであった。

 なるほど、この戦いでも彼は、イギリス軍のスピード不足、とりわけ追撃の熱意を巡って批判を受けたが、この戦いが第2次世界大戦におけるイギリスの最初の明確な勝利であったことは、疑いようのない事実である。当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルは、「アラメインの前には勝利はなかったが、アラメインの後には敗北はなかった」と評価し、この戦いを「運命の蝶番(ヒンジ)」と表現している。

 実は、ノルマンディー上陸作戦でも、主としてイギリス軍が担当した同地方の主要都市カーンの占領が計画通りに実施できなかったため、モントゴメリーは消極的過ぎると批判されたが、結果的には、ドイツ軍機甲部隊を自ら引き付けるという戦い方の妥当性が証明された。ここでも彼は、十分な準備が整うまでは攻撃を決して実施しなかったのである。

 その後のヨーロッパ大陸での戦いにおいてモントゴメリーが、狭い正面での進撃――偶然にもパットンと同じ戦い方――を唱えたことは、アメリカが用いた戦略と相反したと共に、これが「マーケット・ガーデン」作戦の実施と失敗につながった。

 パットンと同様、モントゴメリーは自らの同僚であるイギリス軍人との衝突が絶えず、アメリカ軍人に対してしばしば慇懃(いんぎん)な態度で接したため、その評価は決して高くなかった。また、彼はパットンと同様、「政治的正しさ」に対しても無頓着であった。

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