第2次大戦、米英両雄パットン・モントゴメリーの「戦争指導」の違いをご存じか

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第2次世界大戦ヨーロッパ戦線の戦いで活躍した代表的な軍人、アメリカのジョージ・S・パットンとイギリスのバーナード・モントゴメリーについて、ロジスティクスを中心とした戦争指導を比較する。

モントゴメリーの反撃

ノルマンディー上陸作戦の支援のイメージ(画像:写真AC)
ノルマンディー上陸作戦の支援のイメージ(画像:写真AC)

 エル・アラメインの戦いは、1942年7月1日から11月5日までの間続いた。同地は、トブルク(リビア・キレナイカ地方)から東方へ約500kmに位置する。

 エル・アラメインを防衛するイギリス軍は、攻勢に転じるために必要な戦力および物資を十分に確保していた。イギリス軍の補給基地はエル・アラメインからわずか100~200kmの距離であった。エジプトを拠点にするイギリス空軍の存在も大きかった。

 ドイツ軍の東方への進撃に対して、イギリス軍がエル・アラメインを決戦の場として選んだ理由は、この地域では地上部隊が作戦を実施可能な場所が、地中海沿岸とカッターラ低地と呼ばれる地点に挟まれたわずか約60kmに限られており、ドイツ軍が常に用いてきた内陸部からの大規模な迂回(うかい)という戦い方を封じ込められる、と期待されたからである。そして実際に、これが期待通りの結果をもたらし、ドイツ軍機甲部隊の機動力は完全に封じ込められた。

 この戦いでイギリス軍は、強力な防衛陣地を準備した上でドイツ軍を待ち構えていた。また、多数の火砲および装甲車両の「模造品(ダミー)」も作られていた。

 また、なるほどこの時期のドイツ軍はトブルクの港湾を確保していたものの、物資補給のための輸送船はイギリス空軍の激しい攻撃にさらされ、必要な量の確保には至らなかった。イギリス空軍のひとつの拠点はマルタ島である。同空軍が枢軸国側の輸送船にとっての大きな脅威となり、北アフリカ戦線でのドイツ軍の物資不足の大きな要因だった事実は否定できない。つまり、イギリス軍はドイツ軍のロジスティクスを狙ったのである。いつの時代も、ロジスティクスは軍隊の「アキレス腱(けん)」なのだ。

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