第2次大戦、米英両雄パットン・モントゴメリーの「戦争指導」の違いをご存じか
第2次世界大戦ヨーロッパ戦線の戦いで活躍した代表的な軍人、アメリカのジョージ・S・パットンとイギリスのバーナード・モントゴメリーについて、ロジスティクスを中心とした戦争指導を比較する。
軍人パットンの誕生
1916年のいわゆるメキシコ遠征でパットンは、ジョン・J・パーシングの参謀として初めての戦場を経験した。当初はメキシコ国境付近で騎兵による哨戒(パトロール)に、実戦ではパンチョ・ビリャ掃討作戦に参加している。
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アメリカが1917年春に参戦した第1次世界大戦では、戦車部隊を指揮した。同年のカンブレーの戦い――初めて戦車が集中運用された戦い――に参加、そして1918年のミューズ=アルゴンヌの戦いで負傷している。
彼は戦車を騎兵の延長として捉えており、早くからその潜在能力に注目していた。その際、戦車の能力を最大限に活用するため、これを支援するためのロジスティクスの重要性を早くから指摘していた。
実際、彼はアメリカにおける戦車部隊の「生みの親」と評価できるほど戦車の運用について研究を続けており、その中でも彼が戦車と戦車を結ぶためにラジオ無線による通信に注目した点、そして、戦車の燃料(ガソリン)をいかに迅速に前線まで運ぶかについて研究した点、は特筆に値する。