第2次大戦、米英両雄パットン・モントゴメリーの「戦争指導」の違いをご存じか

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第2次世界大戦ヨーロッパ戦線の戦いで活躍した代表的な軍人、アメリカのジョージ・S・パットンとイギリスのバーナード・モントゴメリーについて、ロジスティクスを中心とした戦争指導を比較する。

エル・アラメインの戦い

「アラメインの戦い」から70年の式典。2012年10月20日撮影(AFP=時事)
「アラメインの戦い」から70年の式典。2012年10月20日撮影(AFP=時事)

 ここから先では、エル・アラメインの戦いを中心としてモントゴメリーの戦争指導の特徴について考えてみよう。

 この戦いまでの約2年間に及ぶ北アフリカ戦線は、緒戦のイタリア軍に対するイギリス軍の包囲作戦を例外とすれば、イギリス軍、ドイツ軍共に機甲部隊を中心とする機動力を用いた戦い方に終始した。つまり、仮に一方の敗北が濃厚になった場合、その敗北が決定的になる前に戦線から離脱し、戦力の立て直しを図ったのである。北アフリカの戦いは、まさにシーソーゲームの様相を呈した。

 だが、モントゴメリーはエル・アラメインで、あえて従来のイギリス軍の戦い方とは異なる、大量の物資を用いた決定的な戦い、すなわち消耗戦に挑んだのである。

 同地に踏みとどまり、強力な防衛陣地を構築した上、反撃の機会を待った。そして、反撃の際には、小規模な攻撃を連続して実施するのではなく、イギリス軍の優位性を最大限に活用する形で、大規模な物量の戦いを実施したのである。これこそ、総力戦の時代にふさわしい戦い方であった。

 北アフリカ戦線に赴任した彼は、士気が低下し装備不足のイギリス軍が、ただ単に敵の攻撃を待っているかのような光景に接し、直ちに兵士の意識改革に乗り出すと共に、必要な物資と要員を補充した。広義の意味でのロジスティクスの拡充である。イギリス軍のやや消極的な戦い方を見直すと共に、同国軍人の士気の高揚を図り、いわば負け癖を払拭する作業から始めたのだ。

 その結果、エル・アラメインの戦いは、順序立ち、かつ代わり映えのしない「教科書通り」の戦い方であったものの、モントゴメリーはドイツ軍を西側へと押し戻すことに成功した。彼が戦場で用いた戦術および戦略が独創的なものであったかについては、否定的な評価が多い一方、部隊のあらゆるレベルでの「効率性」を追求した指導力については、高く評価されている。

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