第2次大戦、米英両雄パットン・モントゴメリーの「戦争指導」の違いをご存じか

キーワード :
, ,
第2次世界大戦ヨーロッパ戦線の戦いで活躍した代表的な軍人、アメリカのジョージ・S・パットンとイギリスのバーナード・モントゴメリーについて、ロジスティクスを中心とした戦争指導を比較する。

パットン――最後の戦士(ウォリア)

シチリア上陸作戦に使われたM4シャーマン戦車(画像:アメリカ国防総省)
シチリア上陸作戦に使われたM4シャーマン戦車(画像:アメリカ国防総省)

 この小論では、第2次世界大戦ヨーロッパ戦線の戦いで活躍した代表的な軍人、アメリカのジョージ・S・パットンとイギリスのバーナード・モントゴメリーのロジスティクスを中心とした戦争指導を比較することで、その特徴について考えてみたい。

 最初に、1944年6月のノルマンディー上陸作戦以降、バルジの戦いを含めてヨーロッパ西方戦線の主役の1人となったアメリカ軍人パットンについて考えてみよう。

 ジョージ・S・パットンは1885年生まれ。ヴァージニア軍事学校とウエストポイント陸軍士官学校で学んだ後は、騎兵将校として活躍する。彼の家系は、アメリカ独立戦争(1775~83年)など多くの戦いに参加した経験を有する軍人一家であった。

 パットンは古典や歴史に造詣が深く、その意味では学究肌の軍人であったとの評価も可能であるが、彼自身は、あくまでも実践的な軍人としての姿勢を貫いている。読書家として知られ、戦争の歴史に興味を引かれた一方で、新たな軍事技術などにも強い関心を示した。

 パットンはその生涯を通じてほとんど政治に関心を示さず、軍人としての立場に徹しようとした。だが、後述するように、かえってそれが、彼の政治感覚の欠如につながったのであろう。

全てのコメントを見る