東京都心・首都高に息づく「徳川家康」のインフラ整備! 銀座・大手町・日本橋、どうする現代人?【連載】江戸モビリティーズのまなざし(10)

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徳川家康は地方の湿地帯に過ぎなかった江戸を整備し、モビリティを促進した。それが現在の東京に脈々と息づいている。

日本橋や銀座へと変貌

家康が入った当時の江戸湾岸は、今とはまったく異なっていた。『よくわかる 日本の城郭検定公式参考書』(学研プラス)をもとに作成(画像:小林明)
家康が入った当時の江戸湾岸は、今とはまったく異なっていた。『よくわかる 日本の城郭検定公式参考書』(学研プラス)をもとに作成(画像:小林明)

 また、日比谷入江はあえてすべて埋め立てることをしなかった。そもそも入江には大小の河川が流れ込んでいたので、すべて埋めてしまっては排水できなくなる。

 そこで、一部は江戸城の内堀に造り直した。これが皇居の和田倉門から日比谷交差点を経て、外桜田門に続く堀として残っている。

 埋め立てに必要な土には、神田山を崩して出た土を活用した。これによって日比谷入江と隅田川河口一帯は、日本橋・銀座へと変貌を遂げていく。

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