中央線はなぜ飯田橋駅付近でカーブするのか? 江戸城の「外濠」が与えた影響を探る【連載】江戸モビリティーズのまなざし(7)
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江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。
物資を運ぶ水路として利用された「水濠」
東京の中心には皇居がある。かつて、ここには江戸城があった。
江戸城は徳川幕府の本拠地であり、城である以上は敵が攻めてきたときに備え、防衛施設を各所に築く必要があった。その防衛施設の代表格が濠(ほり)だ。城の周囲を囲むように、広く、深い溝を設け、敵の侵入を阻むのである。
江戸時代の城下町は通常、城の周囲に「内」「外」の二重の濠を巡らせていた。江戸城の濠も二重で、水を張っていた。水を張った濠を水濠(すいごう)といい、物資を運ぶ水路としても利用された。
現在の内堀通りは、江戸城の内濠に沿って造られ、皇居を1周する道路である。内濠はいまだに健在で、水を張ったまま皇居を取り囲んでいる。一方の外濠は明治以降に埋め立てが進み、一部を除いてすでにない。かつて存在した外濠は、いったいどうなったのだろうか?
外堀通りと中央線が屈曲している理由
実は埋め立てた外濠の土塁沿いを走っているのが、外堀通りとJR中央線の神田駅から四谷駅の線路だ。この区間は外濠をそのまま活用した所が多いため、道路も線路も各地で屈曲しているのが特徴である。
例えば御茶ノ水を出た中央線は、水道橋駅まではほぼ直進しているものの、飯田橋駅付近で大きくカーブを描く。
飯田橋駅は、かつてはホームも湾曲した構造になっており、ホームと車両の間に隙間があって乗客の安全面に不安があった。
ホームを約200m延長させる工事を終了し、改良したのが2020年。それまでは何とも不思議な構造の駅だった。その原因は、江戸城外濠の屈曲部分に駅が立っていたからなのである。