港湾貨物が行き交う「瀬戸内海」 知られざる伝統の物流ヒストリーをひも解く【連載】江戸モビリティーズのまなざし(3)
- キーワード :
- 船, 物流, 江戸時代, 江戸モビリティーズのまなざし, モビリティ史
瀬戸内海沿岸の11府県が取り扱う貨物量
1983(昭和58)年以降、日本国内の港湾貨物取扱量の30%後半~40%台は一貫して瀬戸内海沿岸の11府県が占めている。
11府県とは、
・大阪
・兵庫
・和歌山
・岡山
・広島
・山口
・徳島
・香川
・愛媛
・福岡
・大分
を指す(国土交通省『港湾統計』)。統計が確認できる1963年から見ても取扱量は高い水準にあり、瀬戸内海の海運は社会・経済発展に大きく貢献してきた。
例えば『瀬戸内の自然・社会・人文科学の総合誌 瀬戸内海No.70』(瀬戸内海環境保全協会/2015年刊)では、物流増とともに船舶の大型化が進み、自動船舶識別装置(AIS)を搭載した貨物船、タンカーなどが頻繁に行き来していることを紹介している。
中でも積載数2000TEU(TEU=コンテナの個数の単位。2000TEUは20ftのコンテナが2000個)までのコンテナ船は、
「瀬戸内海のフィーダーサービスを担い、瀬戸内海の各港に寄港している状況を確認することができる」
と記している。瀬戸内海は、日本の海運の大動脈といっていい。
原油・液化石油ガスなど、危険物積載船も少なくない。明石海峡を通る巨大な危険物積載船は、2017年だけで818隻。うち日本船210隻、外国船608隻だ(『海上保安統計年報』第68巻)。エネルギーを輸入・運搬する際も、瀬戸内海の航路は不可欠だ。
歴史をさかのぼると、かなり古い時代から、瀬戸内海を渡って人と物が盛んに交流していたことがわかる。平安時代の927(延長5)年に編さんされた法律書『延喜式(えんぎしき)』には、瀬戸内海沿岸で生産された塩が朝廷に税としてすでに収められていた記録がある。物資を運ぶ船は古来、縦横無尽に航行していたのだろう。
モビリティ産業に従事する人たちがこうした歴史を知ることは、瀬戸内の重要性を再認識する機会になるはずだ。