東京都心・首都高に息づく「徳川家康」のインフラ整備! 銀座・大手町・日本橋、どうする現代人?【連載】江戸モビリティーズのまなざし(10) 歌川広重「東海道五十三次 三島 朝霧」1833~1834年 葛飾北斎「東海道五十三次 絵本駅路鈴 箱根」 水野年方「三十六佳撰 遊山 享保頃婦人」。1893年 高橋松亭「お茶の水」。1909~1916年 葛飾北斎「東海道五十三次 絵本駅路鈴 沼津」 『慶長江戸図』は家康が存命していた時代の貴重な地図。簡略化されているが、日比谷入江が見える(画像:東京都立中央図書館特別文庫室) 家康が入った当時の江戸湾岸は、今とはまったく異なっていた。『よくわかる 日本の城郭検定公式参考書』(学研プラス)をもとに作成(画像: 『東都名所お茶の水之図』の神田川。神田川は人口河川であり、江戸城の外堀を兼ねていた(画像:国立国会図書館) 『名所江戸百景 日本橋雪晴』の日本橋川(水路)。架かった橋が日本橋。現在は水路上に首都高が走る(画像:国立国会図書館) 『江戸名所図会』の行徳・塩竈(しおがま)之図。集落の住民が塩を製造している姿を描いたもの(画像:国立国会図書館) この画像の記事を読む