ローカル線の御殿場線、実はかつて「東海道本線」だった! 単線化から80年 悲運の歴史をたどる
「東海道線」の命名は1896年
日本の鉄道網において最も大動脈といえるのは、1964(昭和39)年に開業した東海道新幹線だろう。2024年に東海道新幹線は開業60年を迎えるが、もともと東海道新幹線は東海道本線の別線として計画された。そして、東海道本線は新幹線が開業する前まで、日本を代表する幹線だった。
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1872(明治5)年、日本で初めてとなる鉄道が新橋駅~横浜駅で開業。当時は鉄道路線がひとつしかないので、路線に名称をつけるという概念はない。同区間が東海道線と命名されたのは1896年で、1909年に東海道本線と改められた。
当時の東海道線は、神奈川県の国府津駅から静岡県の御殿場駅を通って沼津駅へと抜けるルートを取っていた。これは現在の御殿場線に該当する。
御殿場線は、城下町として発展していた小田原や有名温泉地の熱海を通らない。小田原や熱海を経由するルートで線路を建設すれば、多くの需要が見込めることは間違いない。それでも小田原や熱海を避けるルートになった理由は何だろうか。
小田原や熱海を避けたワケ
それは、当時の技術では
「箱根の山にトンネルを掘削することが難しかった」
からだ。
箱根の山を避けた結果、東海道線は国府津駅から御殿場を経由して沼津駅へと至るルートで建設された。そこまで迂回したにもかかわらず、当該区間は急勾配の難所だった。
そのため、当時の蒸気機関車の性能では馬力が不足し、くだり列車は国府津駅で、のぼり列車は沼津駅で補助機関車を連結しなければならなかった。
急勾配区間を走るだけでも所要時間がかかるうえ、補助機関車の連結・切り離し作業にも時間を要する。また、作業には人員が必要になる。そうした事情もあり、明治末期から鉄道当局は東海道本線の所要時間を短縮させることを計画。そのために、箱根の山にトンネルを掘削することになった。
こうして丹那トンネル国府津駅から熱海・三島を抜けて沼津へと至る新ルートの建設がスタートする。