ローカル線の御殿場線、実はかつて「東海道本線」だった! 単線化から80年 悲運の歴史をたどる
国府津駅から沼津駅までを結ぶ御殿場線。単線化されて80年を迎える2023年、その悲劇の歴史を振り返る。
単線化80年で明るい兆しも
戦災復興により、日本経済は右肩上がりの成長を遂げた。それに伴い、鉄道需要も回復。そのため、多くの人が出張やレジャーで鉄道を使うようになる。
1955(昭和30)年、国鉄と小田急電鉄は松田駅・新松田駅の間に連絡線を設置。これにより小田急線と御殿場線の線路が1本でつながり、新宿駅から小田急線・御殿場線を経由して御殿場駅まで走る列車が運行されるようになった。
1968年に御殿場線が電化されると、小田急のロマンスカーが御殿場線へと乗り入れるようになる。ロマンスカーが静岡県内を疾走するという出来事に、興奮を覚えた鉄道少年たちは少なくないだろう。
1989(平成元)年には、ロマンスカーが運転区間を延伸。静岡県側の発着駅は御殿場駅から、沼津駅へと変わった。沼津駅は御殿場線の西端にあたり、東海道本線との乗換駅でもある。一度は苦い経験を味わった御殿場線が、こうして再び日の目を見た。
しかし、2012年のダイヤ改正でロマンスカーの乗り入れ区間が御殿場駅までに短縮される。また、東京駅を出発する東海道本線の一部列車が国府津駅から御殿場線へと乗り入れていたが、それも姿を消した。こうして御殿場線の歴史を振り返ってみると、御殿場線ほど悲運な運命をたどった路線は珍しい。
近年、ようやくは沿線に大企業の工場が集まり、通勤利用者が増加する傾向を見せている。利用者増が見込めるとして、沿線自治体や地域住民から御殿場線に新駅開設の要望も出てきた。ようやく明るい兆しが見えてきた御殿場線は、2023年で単線化されてから80年を迎える。