お台場に熱狂を生み出した「ゆりかもめ」「りんかい線」 功績の裏にあった政治的翻弄、パレットタウン観覧車消滅で振り返る
3区に分割されている“お台場”
2022年8月末、東京・江東区にある大規模集客施設「パレットタウン」の営業が終了した。パレットタウンにはFCGビル(フジテレビ本社ビル)の球体展望台とともにお台場のシンボルとなっていた大観覧車があり、同施設の営業終了によって大観覧車が解体・撤去された。
現在、一般的に“お台場”と通称される一帯は、厳密には
・江東区
・品川区
・港区
の3区によって分割されている。
そんなややこしい区割りになった理由は、同エリアが埋め立て地だったからにほかならない。そのため、これら台場一帯の区域は関係者から13号地、そして東京ビッグサイトなどが立地する有明一帯の区域は10号地呼ばれる。
東京湾には多くの埋め立て地が造成されたが、13号地だけが繁華街として群を抜いた発展を遂げた。これには複合的な要因が考えられるが、
・東京臨海新交通臨海線(ゆりかもめ)
・東京臨海高速鉄道りんかい線
が果たした役割は大きい。
ゆりかもめは、1995(平成7)年に新橋(仮駅)~有明で開業。約11.9kmの路線は、新交通システムと呼ばれる。新交通の定義は曖昧なので、鉄道に詳しくなければゆりかもめをモノレールとも勘違いしてしまうが、モノレールではない。ゆりかもめは動輪でレールの上を走っているわけではなく、ゴムタイヤで走行している。
りんかい線は、ゆりかもめの翌年となる1996年に新木場~東京テレポート間で部分開業。2001年に天王洲アイル駅まで延伸し、2002年に大崎駅間まで開業して全通を果たした。大崎駅まで開業したことで、JR埼京線・川越線との相互乗り入れを開始。相互乗り入れにより、池袋駅・新宿駅・渋谷駅といった副都心からも乗り換えなしでアクセスできるようになった。
13号地が歩んできた歴史
発展が著しい13号地は、こうした鉄道の恩恵を最大限に享受している。しかし、その関係性を理解するには、13号地が歩んできた来歴を抑えておかなければならない。少し長くなるが、かいつまみながら時代をさかのぼって振り返っていきたい。
東京湾の品川沖は中世から重要拠点とされてきたが、本格的に防衛施設をつくる計画が浮上するのは江戸幕府の後期にあたる時期からだ。徳川政権は品川沖には砲台を設置する台場を築き、外国船からの侵攻に備えた。
江戸時代に築かれた台場は、徳川から明治新政府に政権交代した後も整備が進められた。明治新政府の埋め立て地造成事業により、東京湾には広大な埋め立て地が出現。これら埋め立て地は貿易港としての役割が課されたほか、火力発電所が建設されるなど日本の近代化を下支えするエリアとなった。
明治期から断続的に続けられた埋め立て地の造成事業は、戦後も続けられていった。これら埋め立て地造成事業は、戦前期から東京府(現・東京都)が所管していた。東京府が取り組む事業によって海上に出現した土地がどこの区に帰属するのか、曖昧なまま埋め立て地の造成事業は続けられた。