お台場に熱狂を生み出した「ゆりかもめ」「りんかい線」 功績の裏にあった政治的翻弄、パレットタウン観覧車消滅で振り返る

キーワード :
, , , ,
ゆりかもめとりんかい線ほどお台場の隆盛に寄与した存在はないだろう。その歴史をひも解く。

利用者が伸び悩んだゆりかもめ

ゆりかもめの新橋駅。現在はJR新橋駅と並ぶように駅舎が立つ(画像:小川裕夫)
ゆりかもめの新橋駅。現在はJR新橋駅と並ぶように駅舎が立つ(画像:小川裕夫)

 都市博は一時的なイベントで、税金の無駄遣いとの批判は決して的外れではない。しかし、会場跡地の開発計画は狂い、臨海副都心の開発にもブレーキがかかった。ちなみに、1998(平成10)年における臨海副都心エリアの居住人口は、わずか3150人。オフィスワーカーも多いとは言えかった。

 開発計画が狂った13号地を劇的に変えたのが、ゆりかもめとりんかい線だった。ゆりかもめとりんかい線は、ともに都市博の会場輸送を担うべく計画・整備された。都市博の開催が撤回されたことで、13号地の開発は停滞し、当然ながらゆりかもめとりんかい線の利用者は伸び悩んだ。

 また、当時のゆりかもめの新橋駅はJRの新橋駅から少し離れた位置にあった。そのため、乗り換えに10分ほど歩く必要があり、その不便さと割高な運賃が利用者を遠ざけていた。ゆりかもめの新橋駅は、2001年にJR新橋駅寄りの現在地へと移転。これにより利便性が向上した。同じく、りんかい線も新木場駅から東京テレポート駅までの部分開業だったから、その効果は限定的だった。

 ゆりかもめを運行していた東京臨海新交通もりんかい線を運行する東京臨海高速鉄道も、東京都が出資する第三セクター鉄道から出発している。それを踏まえれば、東京都が臨海副都心の開発に並々ならぬ期待を寄せていたことがうかがえるだろう。

 一般的に、鉄道の運賃収入は定期利用者が7割前後を占め、その路線を収支的に支える。他方、ゆりかもめは定期利用者が少なく、週末に訪れる定期外利用者が圧倒的なシェアを占めていた。それは、りんかい線も同様だった。

“お台場”化した13号地

球体展望台がシンボルとなったフジテレビは、都庁舎と同じく貴台の建築家・丹下健三が設計(画像:小川裕夫)
球体展望台がシンボルとなったフジテレビは、都庁舎と同じく貴台の建築家・丹下健三が設計(画像:小川裕夫)

 13号地の開発を失敗できない東京都は、弾みをつけるために定期利用者を増やす取り組みを開始する。しかし、生活インフラが未整備の臨海副都心に住宅地の造成は期待できない。東京都は企業誘致に取り組み、巨大開発に希望を見いだすしかなかった。

 13号地に進出した商業施設の嚆矢(こうし)は1996(平成8)年開業のデックス東京ビーチと1997年のパレットタウンだが、パレットタウン内のある商業施設「ヴィーナスフォート」は、パレットタウンに遅れて1999年に開業する。さらに、2000年にはアクアシティお台場が、そこから少し時間が空くものの、2012年にはダイバーシティー東京がオープン。はたから見れば、かなり順調に13号地は発展を遂げている。

 青島都知事の後を受けた石原慎太郎都知事は、13号地を“お台場”と呼んだ。港区台場は13号地の一部でしかないが、石原が“お台場”と呼び続けたことで、

「13号地 = お台場」

のイメージが固まっていく。

 そして、石原はお台場の振興を目的としてカジノの誘致を表明。長らく国会議員を務めていたときに築いた太いパイプを駆使し、カジノ開設を政府へと働きかけた。しかし、カジノ開設には法律改正が必要になるだけではなく、各方面の調整が必要になるので簡単に実現しない。石原は国を動かすべく、カジノのデモンストレーションを実施するなど世論を巻き込むことにも心を砕いた。

 また、石原はサーキットでF1を開催するのではなく、諸外国で開催される公道でのF1レースも提案している。東京都心部の道路でF1を開催すれば、あちこちの道路を通行止めにしなければならない。それは、都市機能をまひさせてしまう。だから、都市機能に影響が少ないお台場の公道でF1レースを開催することを提案したのだった。

 石原のお台場F1計画は実現しなかったが、鈴木・青島・石原など歴代の都知事はお台場を何とかしようと試行錯誤した。こうした積み重ねにより、13号地は大きく発展していった。

全てのコメントを見る