第2次大戦 ドイツ軍の対ソ敗北は「ロジスティクス」が原因だった? ヨーロッパ戦争史からその変容を読み解く

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ウクライナ侵攻以降、一般的に知られるようになった「軍事ロジスティクス」。今回は中世以降のヨーロッパ戦争史と軍事ロジスティクスの変容を考える。

「略奪戦争」の時代

『ヨーロッパ史における戦争』(画像:中央公論新社)
『ヨーロッパ史における戦争』(画像:中央公論新社)

『補給戦』の第1章「16~17世紀の略奪戦争」では、ヨーロッパ諸国の軍隊が1560年頃から1715年までの間にその規模を数倍も増大させた事実、そして、当時の戦争においては河川の利用方法を熟知した側が勝利した事実が述べられている。思えば、この時代以前のロジスティクス・システムでは、敵国領土で行動する軍隊を維持することなどほぼ不可能だった。

 より正確に言えば、そもそもその必要がなかったのである。古くから軍隊は、必要な物資を「略奪」することでロジスティクスをめぐる問題の解決を図ったものである。組織的な略奪は例外的なものではなく、むしろ日常的な行為だった。

 しかしながら、17世紀初頭までにはもはやこうしたやり方が機能し得なくなってきたのであるが、その理由の一端が、軍隊の規模拡大である。当時の軍隊はロジスティクスの線(ライン)にほとんど影響を受けなかった一方、その戦略的機動性は、河川の流れによって厳しく制約されていた。これは、河川の渡河が困難だったことを意味するわけではなく、補給物資を陸上で運搬するよりも水路を用いる方がはるかに容易であった事実を示している。

 また、当時の軍隊の特徴として、第一に、糧食を得るために常に移動し続けることが絶対条件であり、第二に、進軍の方向を決定する際には策源地、つまりロジスティクスのための基地との接触の維持をあまり考える必要がなかったことが挙げられる。第3に、河川を巧みに利用するためには、当然、その水路を可能な限り支配することが必須とされたが、17世紀の「三十年戦争」で活躍したスウェーデン王グスタフ・アドルフ(在位1611~32年)の戦い方は、まさにこれを実証したのである。

ロジスティクスか戦略か

 ここで重要な事実は、この時代の戦争ではロジスティクスへの考慮が戦略より優先されていた点である。

 補給物資をうまく調達する司令官になればなるほど水路に依存した。例えば、オランダ独立戦争(八十年戦争)で活躍したオランダのマウリッツ・ファン・ナッサウ「オラニエ公」(在位1544~1584年)ほど水路の利点をうまく利用し得た人物はいない。だが、いったん河川を外れるとマウリッツは勝利できなかった。

 前述したグスタフ・アドルフでさえ、その軍隊の動きを決定していたのは彼の戦略的思考ではなく、実は糧食や秣(まぐさ)だった。

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