第2次大戦 ドイツ軍の対ソ敗北は「ロジスティクス」が原因だった? ヨーロッパ戦争史からその変容を読み解く

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ウクライナ侵攻以降、一般的に知られるようになった「軍事ロジスティクス」。今回は中世以降のヨーロッパ戦争史と軍事ロジスティクスの変容を考える。

おわりに

『増補新版 補給戦――ヴァレンシュタインからパットンまでのロジスティクスの歴史』(画像:中央公論新社)
『増補新版 補給戦――ヴァレンシュタインからパットンまでのロジスティクスの歴史』(画像:中央公論新社)

 興味深いことに、『補給戦』の第5章の最後でクレフェルトは、ロジスティクスをめぐる術(アート)とは、戦争の術(アート)のごく一部を構成する要素に過ぎず、また、戦争そのものも人間社会の政治的関係が織りなす多くの様相の一部にすぎない、とプロイセン = ドイツの戦略思想家カール・フォン・クラウゼヴィッツをほうふつとさせる戦争観を示している。

 クレフェルトによれば、対ソ戦の敗北はロジスティクスをめぐる術(アート)以外の要素が主たる原因であり、その中には、

1.多くの問題を抱えた戦略
2.不安定な指揮系統
3.少ない資源の不必要なまでの分散

などが挙げられる。

 だが、この点について私(石津朋之、歴史学者)はやや異なった見解を有している。すなわち、確かにロジスティクスが唯一かつ最大の要因――この側面を過度に強調することで、ドイツ軍は戦闘そのものには敗れていなかったとの不可思議な「神話」につながる――ではないものの、その他の要因との相乗効果によってヨーロッパ東部戦線でドイツ軍は敗北したとする方が真実に近いのである。ここでは、「総力戦」が意味するところを強調しておきたい。

 結局のところ、東部戦線でドイツ軍が実施した数々の作戦に必要な物資の量は、同国軍が支え得るものをはるかに超えていたのである。ここにも、ロジスティクスを軽視したドイツ軍のあしき伝統の一端が垣間見える。

 アドルフ・ヒトラーは東部戦線のドイツ軍を三つの異なった攻撃軸に分散することなく、モスクワ侵攻だけに集中すべきであったとの議論もあるが、ロジスティクスの観点からすれば、こうした方策は不可能である。利用可能な道路と鉄道があまりにも少なかったからである。

『補給戦』でクレフェルトは、戦争という仕事の90%はロジスティクスである旨を強調しているが、この言葉はあながち誇張ではないのである。

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