第2次大戦 ドイツ軍の対ソ敗北は「ロジスティクス」が原因だった? ヨーロッパ戦争史からその変容を読み解く

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ウクライナ侵攻以降、一般的に知られるようになった「軍事ロジスティクス」。今回は中世以降のヨーロッパ戦争史と軍事ロジスティクスの変容を考える。

プロイセン=ドイツと鉄道の登場

『補給戦』の第3章「鉄道全盛時代のモルトケ戦略」では、1866年の普墺(ふおう)戦争においては鉄道網がプロイセン軍の戦略的展開の速度を左右しただけではなく、その様相さえも決定した事実が指摘される。それとは対照的に1870~1871年の普仏(ふふつ)戦争では、開戦時とパリ包囲時というふたつの例外を除けば、実は鉄道はそれほど重要な役割を果たし得なかったとクレフェルトは指摘する。

 確かに、普仏戦争でプロイセン軍は後方からの補給にそれほど依存していたわけではない。プロイセン軍が用いた弾薬の大部分は当初から携行されており、自己完結していたからである。この戦争にプロイセン軍が勝利した理由は、後方からの弾薬のロジスティクス・システムが機能したからではなく、むしろ個々の作戦での消費量が極めて少なかったからである。

 クレフェルトによれば、普仏戦争が前線部隊と策源地を結ぶ近代的なロジスティクスの線(ライン)を備え、厳格なまでに組織化されたロジスティクス・システムによって支援されていたとの一般的な認識は、「神話」にすぎない。実際、この戦争でのプロイセン軍のロジスティクスは全くの失敗続きだった。

 確かに従来、普仏戦争で鉄道が果たした役割は高く評価されてきた。だがクレフェルトは逆に、実際に鉄道が重要な役割を果たし得たのは当初の兵力展開の際だけであり、その後は、プロイセン軍の勝利がほとんど確定するパリ包囲時までは重要ではなかったと指摘する。

 さらに言えば、普仏戦争のロジスティクスの側面に関するクレフェルトの評価は極めて単純である。すなわち、この戦争でのプロイセン軍の戦争計画は、結局のところ、フランスがヨーロッパで最も豊かな農業国家であり、戦争が最も条件の良い時期に開始されたからこそ実現可能になったのである。

 もちろんその一方で、戦争の将来の方向性を示したものが鉄道であり、従来の城壁あるいは城塞ではなかったこともまた事実であろう。

自動車化時代のロジスティクス

 次に、第2次世界大戦におけるドイツ軍のソ連侵攻については多くの研究書が出版されているが、その中でドイツ軍の敗北の要因としてロジスティクスをめぐる問題――例えば距離の長さや道路事情の悪さ――を挙げていないものは1冊もないであろう。

 しかしながら、この史上最大の陸上作戦についてロジスティクスという観点から詳細な学術研究を行った歴史家はいまだにいない、とクレフェルトは指摘する。『補給戦』の第5章「自動車時代とヒトラーの失敗」でクレフェルトは、この問題を正面から論じている。

 1941年の「バルバロッサ」作戦、さらには第2次世界大戦東部戦線のドイツとソ連の戦いを考える時、どうしてもロジスティクスをめぐる問題は避けて通ることができない。ロジスティクスの観点から「バルバロッサ」作戦や独ソ戦全般を考えれば、これが兵站支援限界を超えた、さらには「成功の局限点」を超えた、無謀としか表現し得ない作戦であったことは否定できない。

「バルバロッサ」作戦は、一見華やかな「電撃戦」の表層に目を奪われることなく、その負の側面、とりわけあまり注目されることのないロジスティクスをめぐる側面にも十分に留意するよう人々に警告しているようにも思われる。

 自動車化が進展したこの時代の戦争においても、鉄道の果たした役割は依然として大きなものだった。よく考えてみれば、必ずしも鉄道が「電撃戦」を支え得る柔軟性を備えた手段ではないことは第1次世界大戦、さらにさかのぼれば普仏戦争の事例でも明らかだった。

 だが鉄道を全く無視し、全ての資源を自動車化に集中したとしても、当時のドイツ軍が自動車輸送だけでソ連との戦いを遂行できたとは到底思えない。

 事実、自動車化によりドイツ軍は、「同質性の欠如」に悩まされることになる。すなわち、機動力を備えた自動車化部隊と、いまだに徒歩の歩兵部隊の混在である。そして独ソ戦における作戦は、ある時代の技術的手段――自動車――で実施し、ロジスティクスは別の時代の技術的手段――鉄道――で行おうとしたことが失敗の原因だった。

「バルバロッサ」作戦においては、しばしば指摘されるソ連国内のぬかるみと同様、鉄道線(ライン)の稼働率の低さにも原因があった。そして、鉄道輸送の危機は凍結の始まるはるか前から生じていたため、ドイツ軍のモスクワ侵攻の失敗を、冬の訪れの時期やその寒さに求めることには注意を要する。

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