「9連休でも帰省しませんでした」 LINEで両親の顔が見えるのに「わざわざ帰る」意味はあるのか? 令和の人間関係を考える
「義務的移動」から「選択的移動」へのシフト

2026年の正月が見せた静けさは、日本社会が“民族大移動”という前提から離れつつあることを示している。帰省や長距離移動は、もはや当然の社会的行為ではなくなった。
人とのつながりは、必ずしも移動をともなわなくても維持できるようになった。通信環境の高度化により、安否確認や日常の共有は日常的に行われている。移動そのものは、感情や慣習ではなく、合理性や意味の有無によって選別される行為へと変化した。時間や体力、費用といった制約の中で、本当に必要な移動だけが選ばれるようになっている。
その結果、予算やエネルギーの流れも変わった。画一的な年中行事に費やされてきた支出は、個人の生活の質を高める消費や、明確な目的をともなう関係づくりへと振り向けられている。この変化は一時的な節約志向ではなく、行動原理そのものの転換を意味している。
企業側も動き始めている。一部の企業では、年末年始を避けた帰省を推奨する休暇制度の見直しが進んでいる。閑散期に長期休暇を取得しやすくすることで、従業員の負担を減らすとともに、交通インフラの平準化にも貢献する試みだ。リモートワークの普及は、この流れをさらに加速させている。
地方自治体のなかにも、年末年始以外の時期に帰省を呼びかける動きがある。観光資源と組み合わせた「ずらし帰省」キャンペーンや、平日の地域イベント開催など、血縁以外の理由で地域とつながる仕掛けが試されている。帰省という慣習が弱まる中で、地域は新しい関係性の構築を模索している。
かつて昭和の物語に描かれた「今生の別れ」という美学は、現実との距離を広げている。帰省は、行くか行かないかの二択ではなくなった。どの距離を、どの手段で、どの頻度で引き受けるのかを、個人が主体的に決めていく行為へと変わっている。物理的な距離に縛られない社会のなかで、人はようやく、自分にとって本当に重要なつながりを自ら選び取る段階に入ったのだ。