「9連休でも帰省しませんでした」 LINEで両親の顔が見えるのに「わざわざ帰る」意味はあるのか? 令和の人間関係を考える
9連休でも6割が「予定なし」。年末年始の帰省は、もはや当然の行動ではなくなった。平均予算は約4.8万円と減っていないが、混雑や負担を避ける選択が広がる。移動の意味が変わるなか、日本社会とモビリティ経済はいま大きな転換点に立っている。
「離れて暮らす」ことの意味変容

スマホが普及する以前、とりわけ昭和中期において、「離れて暮らす」ことの意味は現在とは比べものにならないほど重かった。
昭和を舞台にした映画やドラマを振り返ると、その断絶の深さがよくわかる。高度経済成長期の集団就職を描いた作品では、駅のホームでの別れが繰り返し描かれてきた。蒸気機関車の煙の向こうに家族の姿が消えていく場面は、
「今生の別れ(次にいつ会えるかわからない別れ)」
を前提としていたのだ。当時、電話は高額で日常的な手段ではなかった。連絡手段は手紙が中心で、緊急時には電報が使われた。一度故郷を離れれば、親の顔を見る機会や声を聞く機会は大きく制限されていたのである。
その結果、離れて暮らす親族は、実体よりも記憶や想像によって保たれる存在だった。
「物理的な距離 = 心理的な距離」
でもあり、日常的な関係の維持は難しかったといえる。だが現在、スマホとSNSはこの距離の前提を大きく変えた。私たちは、かつてのような断絶を前提としない環境に生きている。写真や近況は即時に共有され、声や表情も画面越しに確認できる。
昭和の時代にあった離れることの重さは、「常時接続」という仕組みのなかで大きく後退したのだ。