「9連休でも帰省しませんでした」 LINEで両親の顔が見えるのに「わざわざ帰る」意味はあるのか? 令和の人間関係を考える
揺らぐインフラ収益と世代間の溝

この考えをさらに深めるには、いくつかの論点を補足する必要がある。とくに重要なのは、文化、インフラ、資産という三つの領域で進む構造変化である。
まず、文化継承をめぐる世代間の感情のずれがある。正月行事や帰省を維持したい高齢層と、時間や費用の合理性を重視する若年層の意識は大きく異なる。この対立はマナーや価値観の違いではない。家族や地域の慣行をどう維持するかという、コミュニティー運営をめぐる合意形成の問題なのだ。
高齢層にとって帰省は気持ちを確かめる行為だが、若年層にとっては負担の大きさを測る行為になりつつある。この隔たりを埋めるには、ビデオ通話などによる非対面の関わりを高齢層がどう受け入れるかが問われる。同時に、若年層側も対面の集まりに新しい意味を見いだせるかが重要になるだろう。家族のあり方そのものが問い直される局面に入っているのである。
次に、公共インフラの維持と社会的コストの問題がある。年末年始の一斉移動を前提に整備されてきた新幹線や高速道路は、需要の分散によって収益構造の見直しを迫られている。ピーク需要の縮小は混雑緩和につながる一方、交通事業者の収益を圧迫する。結果として、地方路線の廃止や運賃の引き上げを招く可能性も高まるのだ。
交通事業者側も手をこまねいているわけではない。JR各社は閑散期への需要分散を狙った割引施策を強化し、航空会社は柔軟な価格変動で平日移動を誘導している。レンタカーやカーシェアの事業者は、地方での短期滞在需要を取り込もうと動き始めた。帰省という慣習が弱まる中で、交通インフラは義務的な移動から「自発的な移動」を支える仕組みへの転換を迫られているのである。
移動しない自由が広がるほど、公共インフラを維持するためのコストは相対的に重くなる。その負担を誰がどのように引き受けるのか。政治的な議論を避けることはできまい。
三つ目は、帰省の減少が実家や相続の問題を前倒しで顕在化させる点だ。定期的に帰省する機会が失われれば、実家との心理的な距離は急速に広がる。足を運ばなくなれば、家屋への関心や将来の相続への意識も薄れていく。
こうした変化は、空き家の増加や地域コミュニティーの弱体化を早める要因になり得る。デジタル上のつながりを保ちながら、実家という物理的資産をどう管理し、どう引き継ぐのか。その現実的な距離感を考えていくことが、今後の重要な課題となるだろう。