陸の孤島「足立区」を変えた日暮里・舎人ライナー! 通勤時間10分短縮・定期代6000円減が誘発した人口流入と経済再編
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都市の周縁だった足立区北部が、ライナー開業を契機に激変を遂げた。ピ-ク混雑率180%超という都心並の需要を集め、通勤時間短縮と月額約6000円の定期代節減を実現。交通インフラが都市構造の再構築を促し、人口流入と商業再編を連鎖的に誘導した。日暮里・舎人ライナーは、足立区を単なる郊外から新たな都市経済圏へと転換させた重要な一手である。
日暮里・舎人線決定劇

当初、建設案には地下鉄7号線(現在の南北線)へのルート追加など複数の案があった。しかし、建設費と採算性の問題から、地下鉄ではなくモノレールの採用が決定した。
1987(昭和62)年1月20日付けの『読売新聞』朝刊は、東京都と沿線の足立区・荒川区が
「在来の鉄道ではなく、街路の上に設置されるモノレールなど新都市交通システム」
を計画していると報じている。当時、北端は足立区の舎人付近に定まっていたが、南端の接続ターミナルについては複数の候補があった。具体的には以下の6駅だ。
・日暮里
・南千住
・北千住
・王子
・田端
・上野
1988年12月、最終的に南端は日暮里駅に決定した。理由は都心直結の利便性と、交通過疎地の解消に最適だったからだ。
この決定は沿線住民に歓迎された。特に日暮里駅周辺では新線開業にともなう再開発と地域活性化への期待が高まった。地元商店街は「早くこいこい! 日暮里・舎人新線」と書かれたのぼり旗を140本も立ててお祭り騒ぎとなった。区役所が無許可の旗は撤去をと中止を求める珍事も起きた。
盛り上がりの背景には、新交通システムという未知の路線形態もあった。当時、都内で新交通システムといえば日暮里・舎人ライナーとゆりかもめの2路線のみで、ゆりかもめの着工は1989(平成元)年であった。メディアは「ゴムタイヤを用いた車両が走るモノレールのような路線」と紹介した。この新技術は大きな衝撃を与えた。
実際には1981(昭和56)年に神戸市が神戸新交通・ポートアイランド線を開業し、自動運転はすでに実用化されていた。しかし、都内で体験した人はまだ少なく、未知の交通機関であった。